人生は春夏秋冬。
24時間ガンガン頑張って、「成長」を実感していく時期もあるし、冬ごもりするように、あまり人と会わず、家に引きこもってじっくりしている方がいい時期もある。
自分にとって最適な過ごし方は、自分の直感が教えてくれる。
この意味で、
「最近、どうも疲れやすい。仕事もやる気がでないし、新しいことに挑戦する気にもならない。今は家でゆっくり過ごしたい」
と思ったらそれが正解。
「こんな自分ではダメだ。もっと頑張らないと!」
なんて思う必要は一切ない。むしろ今は、頑張らない方が(長い目で見れば)正解である。
なぜ必要以上に頑張ってしまうのか
だらだらしている自分が許せない。さぼっている自分が許せない。「当たり前のこと」ができない自分が許せない。そんな人は多い。
だから、疲れて頑張らないでいると、どうにも自分が「なまけもの」なダメな存在なように思えてきて、「こんな自分はダメなんだ・・・」と自己否定に走りやすい。
その結果、自分のキャパを超えてしまい、最終的には燃え尽きてしまう。これは本当に残念なことだ。
実際のところは、疲れたら休んでもいいのだし、いつもいつも無理を重ねる必要なんて何一つない。
なぜなら人生は長距離レース。最終的には、自分のペースで走り続けることができた人こそが最後の最後まで走り抜き、ゴールインすることができるからだ。
大切なのは最後の最後
人生という長い道のりを最後まで進んでいくために大切なのは、決して人と自分を比べないことである。
疲れたらやすんでもいい。何もやる気にならなければ、思い切ってサボってもいい。仕事でも何でも手を抜いて、テキトーにやりすごしてもいい。
もちろん、あなたが考えているとおり、ずっとずっとその調子だとマズイのも確かだ。でも大切なのは、無理なときは無理をしない、という当たり前のことである。
人間なんだから、良いときもあれば悪いときもある。最近なぜか疲れ気味で、何もしたくないときだってあっていいのだ。
そういうときは普段通り100%、全力を尽くさなくてもかまわない。40%50%、自分の力をあえて温存していくのも、とても大切なことである。
つまり、24時間365日、いつも同じ調子で頑張る必要はない。頑張れないときに無理をして頑張る必要はないのだ。
頑張るべきときに頑張れればそれで十分
長い人生大切なのは、絶対に怠けてはいけないタイミングで怠けないことである。つまり、人生では何度か、必死になって頑張る必要があるときがやって来る。大切なのはこのときである。
あなたが人生で本気で頑張る必要があるとき、それはあなたの直感が教えてくれる。そのときは、本当に死ぬ気で頑張ることが大切だ。
しかしいつもいつも、死ぬ気で頑張る必要なんてまったくない。体調が悪くてだるいとき。悲しいことがあって元気が出ないとき。イヤなことが続いて何もしたくなくなってしまったとき。
人生にはこのような、休むべきとき、動かずにじっとしているときがある。そういうときはただ自然に過ごせばいい。
じっとしているからこそ気づける何かもある。動かないからこそ、直感が教えてくれることだってある。
つまり朝が来たら目が覚めて起き、夜が来たら眠りにつくように、人生にはそれぞれのタイミングで自然にすべきことがある。
だから頑張れないときとはずばりそういうとき。「無理に頑張る必要がない」というのが正解だ。
最後に
個人的に好きな話が一つある。それは「三年寝太郎」という民話(?)である。
三年間ダラダラと寝ていた男がある日起き上がって、そこから驚くほどの活躍をして、周りの人を仰天させる話だが、この話は本当に真実味があると思う。
私たちはつい、「何かをすること」に意味があって、「何もしないこと」は無意味で、非生産的なことだと考えがちかもしれない。
しかし、本当に大切なこと、人の成長にとって必要なことというのは、無意識的な場面で起こっている。
それは、何もせずに「ぼーっ」としているときだったり、ベッドで横になって、宙を見上げているときだったりする。そういうときほど実は、人の内部で、「何か」が動き出しているときなのだ。
だから動きたくないとき、頑張りたくないときというのは、「あなたは今頑張るべきときではありません」という心の声を素直に聞いた方が良い。
何もしないこと、頑張らないことを選択するのはある意味勇気がいるかもしれない。
20代が最悪最低でダメであったとしてもそれでいい。もしかしたら30代でマシになって、40代で最高の思いができるかもしれない。
つまり、人生はどこでどうなるか分からない。長い目で、見ることである。