人生における「適切な行動」を決定する重大要素

踊る女性

人生とはずばりタイミングである。

自分の波を感じそれに応じた適切な行動を選択する。動くときは動く。ともかく頑張る。そうしていると「結婚できる」「夢が叶う」といった「良いこと」を実現できる。人はそれを「運が良い」と言う。

その一方。突然、今までうまくいっていたことがうまくいかなくなる。頑張りたいのに体や心が頑張れなくなる。そして「収入が下がる」「病気になる」といった事象が発生する。人はそれを「運が悪い」と言う。

それらは人生における一定のタイミングで引き起こされる出来事であり、それぞれの時期によって起こした行動があるときはプラスとなり、あるときはマイナスとなる。

同じことをしていても、結果はタイミングによって異なる。だからこそ重要である。自分の人生は今動くときなのか?それともそうでないのか?タイミングに応じた適切な行動を選択することが。

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はじめに

人生は動くべきときに動き現状を変革する。そして動いてはいけないときには控えめに見を処し、「忍耐」の単語を繰り返し自分に言い聞かせ、状況が変わることをじっと待つ。自分自身のタイミングによって「適切な行動」は異なる。

たとえば為政者やリーダーがこぞって愛読する書物として知られる『貞観政要』という古典がある。そこには、政治には創業と守成の時期があるということが述べられている。

創業の時期とは権力を固め政治を安定させるまでの時期を指す。そして、守成の時期とはすでに得た権力の安定を崩さないための時期を指す。

我々一般人がこの教えを分かりやすく理解するならば、人生には仕事や家族など、何かを得ていく「攻め」の時期と、「攻め」の時期を経て自分が築き上げてきたものを守る時期があるということだろう。

ここで本質的に重要なことは「それぞれのタイミングにおいて取るべき適切な行動が変わる」ということである。

タイミングは自分の身の処し方を判断する目安である

あることをしても、それをするタイミングによって結果は180度、変わってくる。

今が「攻め」のときならば、自分が手に入れたいものや「現実をこのように変えたいです」という具体的なイメージを持ち、そこへ向かって今自分ができることを問答無用でこなしていく。願望とタイミングが合致するならば、その相乗効果は計り知れない。

そして、次に人生のターンが守成の時に差し掛かったとき。「ごちゃごちゃ言わず行動あるのみ!」としたところで、「おかしい。今まではこれでうまくいってきた。頑張っているはずなのに・・・」と、行動と結果が噛み合わない状況に陥る。

そこで、「今は何かを手に入れるために動くときではない。今まで自分が手に入れてきたものを再認識しつつ、必要なものとそうでないものに区別をつけ、静かにしていよう」と考え方を改めることで、再び人生の波を待つ心の余裕ができる。

重要なのは、今年の自分、今の自分は一体、どんなターンが回ってきているのか?積極的に動くときなのか?それとも今は無理をせずに守勢を保つべきか?その判断なのである。

人生を俯瞰的に眺め、タイミングを判断する

タイミングは自分の努力や行動以上に、その先の結果に左右する。

個人的に、「人生は一定の周期が巡ってくる」という占いの考え方は人生のタイミングを判断できるという点で実用的であると考えている。特に、算命学が提唱する「天中殺」という概念は個人的に、強く関心を持っている。

その内容はシンプルである。人生には春夏秋冬のようなサイクルがあり、春には春、夏には夏、秋には秋、そして冬には冬の過ごし方があり、それぞれの季節に応じて過ごすことの大切さである。

「天中殺」という概念に科学的な根拠はないが、人生の一定期間「積極的に行動せずに自我を抑え控えめに過ごすのが吉」と、人生のサイクルの中に「待機・充電期間」があることが説かれているのは非常に興味深い。

外に出るにも良い季節がある。種を蒔くにも適切な時期がある。それを刈り取る時期もある。

だからこそ人生はタイミング。今、自分自身がどのようなタイミングを迎えているのか?人生周期のうち、どの段階に到達しているのか?俯瞰的に自分の人生を見つめることで、大きな失敗を避けられるだろう。

最後に

人生で起こる大失敗の典型的なパターンは、「今はまだ自分のときではない」「今は動かない方がいい」というときに不都合な現実が起こってしまい、その現実を変えようと大きな勝負を仕掛けた結果、致命傷を負ってしまうというのがそれである。

悪いことが続く。目の前の状況はベリーハード。だからこそ今すぐこの現状を変えて人生逆転したい。そこで大きなリスクを背負い一発勝負を仕掛ける。その結果、致命的な大ダメージを負う。これは一種のパターンと言っていい。

人生何度失敗しようと、再起不能の致命傷さえ追わなければ挽回のときは必ず訪れる。だからこそ無理なときに無理はしないほうがいい。痛みは痛みとして、損は損として、最小限に抑えることが肝心である。

悪い流れが続いているとき、自分自身の適切な選択によって、その悪い流れは実は、その後何年か先に、良い流れに変えるためのきっかけにすることもできる。だからこそ自分自身のタイミングを客観的に理解することは大切である。

動くべきには問答無用で動けばいい。だがあえて自我を抑えて受け身となり、世間との積極的な交流も控え、静かに過ごすときが吉なタイミングもある。重要なのは自分の人生に今現在訪れている、タイミングなのだ。

それは行動のビフォア&アフターを、大きく変えてしまうのだから。

参考文献

『貞観政要』(ちくま学芸文庫)