落ちていくときにこそ、「大切な人」だけが残る

手を伸ばそうとする人と人

落ちていくときにこそ、人間はその本性を見せるのです。そして、落ちていくときにこそ、人は多くを学ぶのです。

村西とおる(『全裸監督 シーズン2 全裸監督からの大事なお知らせ』より)

このブログでも幾度と書いた言葉がある。それが、「晴れの日の友、雨の日の友」という言葉だ。

人生がうまくいっているとき、つまり人生の晴れの日には、周りに様々な人々が集まりやすい。その一方、人生の流れが変わり、雨が降り始めたとたん、身近にいる人々の多くは、一斉にいなくなり始める。

それは私たちに何が本物で何がそうでないのかを、これ以上ないほどはっきりと、教えてくれる。だからこそ「落ちていくときにこそ、人は多くを学ぶ」という言葉は、真実なのだ。

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はじめに

人生の下り坂に差しかかったとき、私たちは否が応でも実感する。自分の弱さや実力のなさ、足りないもの、そして自分自身の意外な本性を。

だがそのとき、本性を見せるのは自分一人ではない。周りもまた、そのときに普段見せていない、本当の姿を見せ始める。

そのとき私たちはようやく、気づく。自分が築いてきた本物の関係、そして偽物の関係を。それは少なからず、自分自身にも責任がある。

本当に大切にすべき人や、関係を深めるべき人を間違ってしまったこと。人を見る目を間違ってしまったこと。自分自身の責任なのである。

だからこそ、それは人生における貴重な学びの機会になる。「落ちていくときにこそ、人は多くを学ぶ」ことができるのだ。

人間関係の基本原則

学校だろうが社会だろうが、「友だち100人」作る必要はない。いくら表面的な関係を100人1000人と築こうが、それらは「落ちていくとき」に雲散霧消する、あってもなくても同じような関係に過ぎない。

そもそも、私たちがその人生で、深く強い関係を築ける人々は限られている。だからこそ、人間関係は省エネが肝心だ。表層の浅い関係にエネルギーを使うのではなく、本当に大切にすべき人にエネルギーを使う。

そのためにも人を見る目を磨くだけでなく、自分自身も相手にとってそうした人であるべく、努力する。自分だけが与えられるのではなく、「与えることができる人」を目指す。

人間関係は、一方通行だけでは続かない。私たちはつねに、誰かとつながり、何かを交換し合って、生きていくからだ。

そもそも、人は「わからない」もの。

人は、いざそのときにならないと、本当の姿は見えない。私たちは誰もが、自分を「良く見せたい」と、本性を擬態する。それ自体は、悪いことでもなんでもない。

自分を偽り、演技し、周囲と迎合することは、様々な価値観を持つ人々が集まる社会で生きていくための、技術に過ぎない。見えている姿をそのまま「本物だ」と思い込むことが、間違いなのである。

笑っている人がほんとうに笑っているとは限らない。笑顔でうなずく人が、「私は、そう思っていない」ということだってある。

人を見る目は必ずしも、「落ちていくとき」だけに磨けるものではない。普段から、人をわかった気にならないこと。むしろ、「いつまで経っても、人はわからないもの」と考えるのが、ちょうどいいのだろう。

最後に

人生の落日は、必ずしも悲劇とは限らない。今手元にあるものが無くなっていくという過程を通じて、自分に「残されているもの」に、気づくことができるからだ。

生きていくために、あれもこれも、必要はない。むしろ、本当に大切なものさえ残っているなら、どうとでもなる。人間関係もそうである。

自分にとって本当に大切な関係とそうでない関係を見誤ることなく、大切にすべき人を大切にする。数は問題ではない。問われるのは、その深さと強さなのだから。

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人間
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