
ビジネスはマラソンです。長期的に考えなければなりません。誰かにトランプのババを渡しても、短期的には成功するかもしれませんが、最終的にババはあなたの元へ戻ってきます。
井上達也(『小さな会社の社長の戦い方』より)
ここで言う「ババを渡す」とは、私は「今だけ金だけ自分だけ」という目先の利益を優先する姿勢や、「目的のためなら手段を選ばない」という考え方(いわゆるマキャベリズム)を指していると、個人的に捉えている。
確かに、そのようなやり方で一時的に利益を得ることはできるかもしれない。しかし、それはあくまで短期的な成功に過ぎない。信頼を失ったり、人間関係に歪みを生んだりした結果、いずれそのツケを払うことになる。
だからこそ、「長期的に考える」という視点は重要である。
ビジネスだけでなく人生そのものにおいても、最後に振り返ったとき「これで、よかった」と言えるかどうかは、目先の損得ではなく、長い時間軸の中でどのような選択を積み重ねてきたかによって決まるのではないだろうか。
なぜババが最終的に戻ってくるのか?
「ババは戻ってくる」という表現は、因果応報やカルマといった、いわゆるスピリチャル的な話のように聞こえるが、確かに起こりうる現象である。
それは、信用のネットワークによって説明することができる。
信用のネットワークとは、簡単に言えば、人と人とのつながりが網の目のように広がり、評判や信頼が共有される仕組みである。
私たちの人生、そして社会は、人とのつながりによって構築されている。そのつながりはいわば、見えない無数の糸のようなものだ。
ここで、AさんがBさんに「ババを渡した」とき、Aさんの行いは、必ずしもシンプルにAさんとBさんだけの話として完結するわけではない。
BさんがAさんの行いをCさんやDさんに伝えることもある。その結果、
「Aさんは常に自分ファーストだ」
「Aさんは自分の仕事を押し付ける」
といったネガティブな評判が、ネットワークのなかで広がっていく。その伝播速度は、令和の現在、SNSなどの普及によって、加速度的に早くなっている。
だからこそ、AさんがBさん本人から「因果応報」や「カルマ」を受けることがなかったとしても、「別の誰か」から、「別の形」でそれを受けることは現実として起こりうるのである。
「ブーメラン」が返ってくるとき
例えば、SNSが普及した令和の時代では、企業はその採用面接においてかつて問題視されていた「圧迫面接」を避ける傾向があるという。それは、企業の社会的責任に応じて、その傾向が強くなるが、それは極めて現実的である。
かつて、採用面接で冷酷にあしらわれた応募者がその企業にネガティブな感情を抱く。そして「されたこと」をネットに拡散する。
もしくは、その応募者はその企業のライバル企業に就職し、不利益をもたらすかもしれない。もしくは消費者として、物を言わず、密かなる不買運動を開始するかもしれない。
また、こうしたケースもあるかもしれない。上司が部下を冷酷に扱う。部下は転職し、その会社の「重要クライアント」として現れる。
または、会社が買収される。買収した企業の上司として、その人物が現れて上司は「半沢」される(上司は思わぬ形で立場が逆転する)。
こうした現象は、必ずしも統計学といった数値化されたデータとして、明確に反映されるわけではない。また、それが起こる確率を一般論で語ることはできない。
たとえ稀なケースであったとしても、起こるときは起こる。なぜなら私たちの社会は、見えない無数の糸によってつながっているからだ。
だからこそ、「ババは戻ってくる」現象を、スピリチャルやオカルトといった言葉で安易に片付けることはできない。それは「自分の行いがネットワークによって絡め取られる」という合理的な社会システムなのである。
私たちが今日、そこに蒔く種
人に親切にすれば、その人から親切にされなくても、その姿勢が別の誰かとの良い縁につながることがある。外に向けて発した言葉と、その言葉に込められた感情は、やがて自分に返ってくる。
「因果応報」
「カルマ」
「自分が蒔いた種」
「お天道様は見てる」
様々な表現があるが、こうした言葉が伝えんとすることの本質は明白だ。
自分の行いは、巡ってくる。その形がどうであれ、巡ってくる。だからこそ、それをする前に、それをしたことでどうなるか、「長期的に考える」ことが大切なのだろう。
だからこそ、「今」や「目の前」のことだけを考えていては不十分だ。自分の蒔こうとするその種はやがて、その種の性質に応じたものを、芽吹かせるのだから。
最後に
人生は、短くも長い。
「今だけ」を追い求めれば、それはほんの一瞬華やかで楽しい時間を過ごすことができるかもしれないが、虚無的である。それは生きることの本質ではないはずだ。
むしろ人生の本質的な価値は、その終盤に差し掛かって、ようやく見えてくるものではないだろうか。
確かに、今だけ見ていれば、努力や誠意、善行は報われないように見えることは普通にあるし、「それはどうなのだろう」と思わされる現実を、当たり前のこととして見せつけられることもあるだろう。
だが、表面は所詮表面である。私たちは誰もが、良くも悪くも、信用のネットワークから逃れることはできない。時間差はあっても、人の本質や行いは少しずつ誰かに伝わっていく。
だからこそ、大切に考えたい。今日踏む、その一歩を。今日そこに蒔く、その種を。

