
人間関係。
それは、理屈や努力だけでは、理解できず、どうにもならないこともある、ある意味で永遠の課題と言えるかもしれない。
具体的な理由もない。だけど、一緒にいると疲れてしまう人。
話が合わないことはわかっている。だけど、無理に合わせてしまう人。
会った時からなぜか気が楽で、気がつけば10年以上付き合いがある人。
世の中には、いろんな人間関係がある。だからこそ、こう考えることもできる。
人間関係は、「人として最低限の対応をしよう。でも、誰とでも完璧に、うまくやれなくても仕方ない」と。
この記事を、人との関わりでつい消耗してしまう人に送りたい。
なぜ私たちは、合わない人にも無理をしてしまうのか
人にはそれぞれ、意識するしないにしろ、それまでの経験から身につけた、人間関係の型がある。それは十人十色で人それぞれ違う。
たとえば、ある人は(明確な理由は認識できないけれど)人から嫌われることを、過剰に恐れてしまう傾向がある。またある人は、自分を置き去りにして、相手を優先してしまう傾向がある。
こうした傾向には、その人が身につけた、人間関係の型が潜んでいる。そしてその型には、思い込みが付随している可能性がある。次のように。
・人から嫌われることを過剰に恐れる
→「いい人でなければいけない」という思い込み
・常に自分ではなく、相手を優先してしまう
→「自分の気持ちより、相手の気持ちを優先すべきだ」という思い込み
つまり、話はこうだ。
型を作るのは、それまでの経験と、意識はされないけれど確かにそこにある、思い込み(考え)である。そしてその思い込みによって私たちは、自分の気持ちに目をそらし、押し殺してしまう。
心に境界線を引く。それによって生まれるもの
人は人で、自分は自分。
私たちは、目の前の人の考え方を変えることも、その人の機嫌を変えることも、できない。なぜならそれは、本質的に、その人自身の課題だからだ。
にも関わらず私たちは、
「目の前の人がイライラしているのは、きっと自分のせいだ」
「あの人を、幸せにしなければ」
と、相手の領域に入りこもうとしてしまうことが、しばしばある。
だが、それは本来、私たちがするべきことではない。
相手の機嫌は、相手の責任であってこちらの責任ではない。だからこそ私たちに必要なことは、相手の状態を否定せず、距離を取ることである。
それは冷酷でも何でもない。自分を尊重しつつ、他者を尊重し関わるための基本技術である。
人間関係に、共感性は必要である。だが、それと同時に、自分と相手の間に、ハッキリとした境界線を引くことも、大切なことである。
「この関係は、もう無理!」と思ったらできること
ノーをノーとハッキリ言えることはすばらしいことかもしれない。
だが、はっきりと断ることは、大切な場面もある。だが、いつでも明確な答えを出すことだけが、最善の対応とは限らない。
距離を近づける人。ほど良い距離を維持する人。遠いほうが安心できる人。
人との距離感は、ちょっとした工夫によって調整することもできる。たとえば、連絡の返信速度や、誘いの断り方、自己開示、会う頻度などがそれだ。
たとえば、気の進まない誘いを受けたとき。
無理に理由を探して断る必要はない。「今回はやめておくね」「今は少し自分の時間を優先したいんだ」と伝えればいい。相手に理解し、納得してもらうために、無理に詳しく説明をする必要はない。
断ることに慣れないうちは、ストレスを感じることもあるかもしれない。だが自分の気持ちを後ろに置いて合わせることは、最善の対応とは言えない。
「角の立ちにくさ」を意識し、距離感を調整し、自分の心に無理をしない。合わないと感じたら、そう感じた自分の気持ちを尊重する。
それに応じて、相手への連絡タイミングを調整したり、自分の情報をどれくらい話すかを慎重に意識し、会う必要がある場面とそうでない場面を意識する。こうして距離は、適切に調整されていく。
人間関係は、「近ければいい」というものでもない。人それぞれ、適切な距離感がある。
最後に
人間関係は、「思い通りにならない」ことが前提だ。
相手には相手の意思や考え方がある。だからこそ、境界線を引くことが必要だ。それによって相手に適切な距離を認識することができ、何より、自分を守ることができる。
「合わない」とわかっていても近づきすぎれば、消耗してしまう。本来なら避けられたかもしれない摩擦が生まれることもある。
だからこそ、人として最低限の対応ができればいい。完璧な人間関係を築けなくてもいい。境界線の向こう側にあるものは、その人が対処すべき問題なのだから。

