「当たり前」と思っているものに目を向ければ、人生の見え方が変わる

窓の側に立つ女性

当たり前は、当たり前ではない。

健康であること。歩けること。食事ができること。そんな、普段は意識しない何気ない日常の事柄がまさに、そうだ。それらは、失いかけたとき初めて、そのありがたさに気づく。

病気になったとき。足を怪我して思うように歩けないとき。歯の治療を始めて思うように食事ができなくなったとき。当たり前は、当たり前ではないことに、気づく。

何気ない、当たり前のようにそこにある日常は、尊い。

「もっと、豊かになろう」

「もっと、幸せを見つけよう」

こうした意欲は素晴らしいことかもしれない。だがそれと同時に、今そこにある、「当たり前のように思える日常の事柄」のありがたさを実感することも、大切なことではないだろうか。

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失う前に、その価値に気づく

人生の皮肉の一つは、「大切なことほど、それを失ってから気づく」ということだ。だが、その気づきを得るために、それを失うまで待つ必要はない。

大切なことは、人生の前提と言い換えてもいい。体の自由や思考を保証し、社会で生きていくための健康。衣食住が保証された、ごく普通の生活。人生で関わる人々との関係。

一流アスリートのような体躯を持たなくても、体が普通に動くことができ思考できる健康があるなら。生活に不満があれど、衣食住が足りているなら。日々、誰かと言葉を交わす環境と社会との適度なつながりがあるなら。

すでに自分の暮らしのなかに、幸せと呼べるものが存在していることに、気づく。だからこそ、ないものや足りないものばかりに目を向けて探す前にまず、今あるものに気づく。

当たり前と思っているものの価値に、目を向けてみよう。

失うことは、気づくためのチャンス。

だが、人生はときに健康を害してしまったり、思うように動けなかったり、努力とは裏腹に持っているものを手放さなければいけなかったり、思いがけない困難に直面することもある。

そのとき大切なのは、「失うという経験から学ぶ」ということだ。

もちろん、すべての経験を学びに変えられるとは限らない。ときに、失ったものを嘆いたり、現実に苦しんだりすることもあるかもしれない。

それでもなお、時間がたってから振り返ることで、それまで気づかなかった価値が見えることもある。そうした気づきは、これからの人生における「価値判断基準」という財産になっていく。

自分の人生で、当たり前と思っていたけど、実はとても大切だったこと。「これは、価値がある」と過剰に考えていたけれど、失っても「大したことではなかった」と気づいたもの。

失うという経験を通じて私たちの価値判断基準が洗練されていく。それはいわば、本質を知るための過程だ。

キラキラしているものが、本当に輝いているとは限らない。むしろ、目立ちはしないけれど、深い輝きを秘めているものも、ある。それは、「ここにある」と声高に主張せず、静かにそこに、当たり前のように、存在している。

当たり前を大切にする。それは「自分を大切にする」に通じる

たとえば、あなたが今この記事を読んでいること。それ自体にも、さまざまな条件が関わっている。

文字を読む環境があること。情報に触れる手段があること。そうした、普段は意識することの少ない事柄にも、目を向けてみる。

すると、目が見えて、文字が読め、情報にアクセスできることの価値に気づくかもしれない。そして、今こうして何らかの手段で情報に触れられていることも、決して当たり前ではない。

また、今、フルタイムであれパートタイムであれ、何らかの仕事をしているなら、その仕事をしているからこそできることがあるかもしれない。

(もちろん、仕事は変えることができる。変えたいなら、変えるための一歩を踏み出せばいい。だが、「その選択肢がある」と考えることができることは、すばらしいことだ。)

すなわち、私たちの日常には、「今、◯◯があるから△△ができる」という関係が、さまざまなところに存在する。

だからこそ、「◯◯」を大切にすることは結果として「△△」、つまり自分、そして自分の人生を大切にすることにつながる。

最後に

人生を豊かにする。

そのために私たちは、

「もっと、何かを得よう」

「もっと、今の環境を改善しよう」

「もっと、成長しよう」

など、今を変えて、新しい何かを手に入れようとする。

それも大切なことかもしれない。だが、方法はそれだけとは限らない。むしろ、新しい何かを手に入れなくても、「今」の見方を変えることによって、人生を豊かにすることはできる。

その一歩が、「すでに持っているもの」「(当たり前のように見えるけれど)当たり前ではないもの」の価値に気づき、それを大切にすることだ。

繰り返す。当たり前は、当たり前ではない。それがそこにあること自体、実はとても、ありがたいことなのだから。