「人生で起こったことはすべて自分の責任」という考え方

クールな女性

自己啓発の本を読むと、人生について次のようなことが声高に主張されている。

それは、

「人生の責任は100%自分にある。起こることはすべて、自分自身が招き寄せていることであり、今自分が幸せでも不幸でも、その原因はすべて自分にある」

という考え方である。

近年、日本でも「自己責任論」という言葉とともに、この考え方を声高に主張する人々が増えている。しかし、ここで大切なのは、この考え方を社会全体の風潮として押し付けられるものではなく、自分自身の選択として取り入れるかどうかである。

この考え方のメリットは一つある。それは、「人生で起こる出来事がすべて自分の責任である」と考えることによって、自分の人生に主体的になれるということである。

もちろん、自然に考えれば「すべてが自分のせい」というのは現実にはあり得ない。自分のせいで起こることもあれば、自分の力ではどうにもならないこともある。

だからこそ、他人から自己責任を押し付けられたときは要注意である。あくまで、「自分自身でその意味を理解し、主体的に活用する場合に限り」、自己責任論を有効に活用できるのである。

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はじめに

人生がうまくいっていないとき、

「それは自分の過去の行動に問題があった」

「周りの誰かのせいではなく、すべて自分が悪かった」

こう考えることによって私たちは、

「ではどうすれば人生を変えることができるのか?」

と自分の人生を問い直すきっかけを得ることができる。

人生を自分のせいにするか、それとも他に原因を求めるか。その違いで、人生はガラリと変わる。自分に原因があると考えている限り、自分自身の人生に対して責任を持つことができる。だからこそ、主体的に人生を変えようと努力することができる。

しかし、人生の責任が自分にないとしたら、「何らかの運命」によって人生が決められているとしたら、私たちが自らの行動によって自分の人生を変える余地はなくなってしまう。

この意味で、

「人生の責任は100%自分にある。起こることはすべて、自分自身が招き寄せていることであり、今自分が幸せでも不幸でも、その原因はすべて自分にある」

と考えることは、私たちが自分自身の人生を真正面から受け止める自覚を促すという意味において、必ずしも悪いことではない。

そして、何が起ころうと「自分に落ち度があった」とあえて考えることによって、その後の問題を未然に防げることは往々にしてある。

このように、「個人的かつ自覚的な選択」として自己責任論を選択することは、それこそまさしく個人のチョイスである。

これが人生における「選択肢」

その一方で、人生の責任がすべて自分にあるわけではない。運命や環境によって左右されることもある。社会や他人から「あなたのせいだ」と押し付けられるのは、必ずしも正しいわけではない。

世の中にはこの世界に生まれ落ちた瞬間から、恵まれている者と恵まれていない者、人生のスタート地点に大きな差があるのは否定できない現実である。

スタートが違えば、その後歩む道のりも異なる。たった数年の生まれの差だけで、生涯年収に1億円以上の違いが生じることも、現実として起こり得る。

ゆえに、人生のすべて、何から何までが自分の責任だと考えることは、事実かどうかを考えれば「事実ではない」と考えるのが自然である。

だからこそ現実的には、「人生で起こることがすべて自分に責任がある」という考え方は、先に述べた通り、個人が自分の成長や改善のために選ぶのであればともかく、他人や社会から押し付けられるものではない。

人生で自分の身に起こることは必ずしも自分の責任によって起こるわけではない。むしろ現実は、人生が自分の力の及ばない様々な要素によって作られていく側面がある。

努力しても変えられないものは変えられない。生まれた瞬間から環境という名の絶対的な差は確かに存在する。この現実は自己責任とは全く関係がない。ゆえに、自己責任を誰かに押し付けられたときは、注意が必要である。

問題は、そんな不公平な現実があることを認めた上で、私たち自身が自分の人生をどのように生きていくかということである。

マイナスがある。だからプラスがある!

現実は平等ではない。だが、人生で絶対的に不利な立場にある者が、人生のすべてをあきらめる必要はない。自分目線で最高の人生を見出すチャンスはある。むしろ、他者目線ではなく自分目線で人生の意味を見出すことが大切である。

人生は、何かを得れば何かを失う。最初から人生において与えられているものが限られている者や、不利な立場に置かれている者は、そうであるがゆえに、最初から有利な者よりも、確実に得られるものがある。

厳しい境遇を味わったからこそ、世の中の理不尽を味わったからこそ、そこから初めて見えてくるものがある。得られるものがある。それは、最初から持っている者には絶対に手に入れることができないものである。

そう、人生を長い目で見れば、「マイナスだと思っていたものが、必ずしもマイナスではなかった」という真実に気づくことができる。だから、「自分の人生は恵まれていない。これから将来に希望が持てない」という状況だったとしても、人生をあきらめる必要はない。

むしろ、困難な状況であればあるほど、そこに大切な何かが隠されていることに気づきたい。今しか得られないものがあることに気づきたい。それこそが、人生において理不尽を味わう、絶対的な理由であり、与えられるプラスである。

最後に

人生は公平ではない。「人生で起こることはすべて自分に責任がある」と考えるのは無理がある。

ここで言う自己責任論とは、あくまで自分自身の選択として、自分の成長や行動に活かす場合の話であり、他人や社会から押し付けられるべきものではない。

だから、今人生がうまくいっていなかったとしても、それがすべて「自分の責任です」と思い悩むのはあくまで自分自身の選択であり、誰かに押し付けられるものではない。

もちろん、自分に悪いところがあれば、それを反省することは大切である。自分がコントロールできる物事において、自分の責任を追求することは人として重要である。ただし、それは「自分自身の人間的な成長」という意味において、である。

しかし、人生はなるようになる。今自分の人生がこうなっている原因を考えるよりも、むしろ、なぜ今自分がこのような人生を歩んでいるのか。その必然性と、そこでしか気づけないことに意識を向ける方がずっと実用的である。

なぜなら、人生にムダはない。どんな苦労も悲しみも、すべては必要だからこそ経験することになった。そう考えることもできる。

大切なのは、自己責任論を無条件に肯定するのではなく、アンフェアな現実を認めた上で、人生の気づきとして活用することではないだろうか。

結局、自分には自分の人生がある。それはこの世でただ一つだけの道であり、自分以外の誰も進むことができない道である。

そう、本当に大切なのは人生がうまくいったかうまくいかなかったか、それよりももっと大切なことがある。誰かと比べるまでもない。自分の人生を真剣に生きること。それこそが一番大事なことはないだろうか。

追記

最後に一つ、自己責任論を有効に活用する方法について付け加えたい。

何かがおかしいと思っているなら、そのおかしさの正体を特定し、それに対して「No」を伝えるための行動を起こす必要がある。

「おかしいことはおかしい」と声を上げる。受け入れられないことは「受け入れることはできません」と態度で示す。こうした行動を起こすことこそが、まさにその現状が存在することを許さないための、自己責任論の活かし方ではないだろうか。

「一人一人の力は、たしかに微力かもしれない。だが、決して無力ではない」という言葉は真実である。私たちにできることは、確かにある。

声を上げず、態度で示さないことは、「それで私はOKです」と認めているに等しい。だからこそ、もしこの世界において自己責任が重要であるならば、私たちがすべきことはシンプルである。

それが何であれ、「Yes」か「No」。それを受け入れるか受け入れないか、行動と態度で示すことである。おかしいことは許容せず、「変えていこう!」と声を上げて、自らの意思を行動で示す。それもまた、自己責任論の有効な活用法なのだから。

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