あなたには、
「もうこのことは思い出したくない!きれいさっぱり忘れたい!」
という、苦い思い出はあるだろうか?
思い出す度にそれをしたことを後悔してしまう「黒歴史」があるだろうか?
もしあなたにそれがあるなら、ぜひ提案したいことが一つある。
それは、
「その今すぐ忘れたいほどの失敗を人生の教訓にしてください」
ということだ。
「失敗した」数が多い方がいい理由
人は失敗から学ぶ。本質的な意味において、私たちは失敗を経験しない限り、学ぶことはできない。
だから、人生で一度も失敗を経験していない人。挫折を味わったことがない人は、人生順調などころか、むしろヤバイ状況にあると考えた方がいい。そういう人が40歳を超えて初めて挫折を経験すると・・・、という話である。
この意味で、もしあなたが人生失敗続き、挫折続きであるとしたら、それはある意味、あなたがとてもツイている、ということを意味する。
なぜなら、失敗を経験すればするほど、そしてその失敗が手に痛いものであればあるほど、そこから得られる学びは、より貴重になっていくからだ。つまり、失敗から学べる者こそ、最終的には人生最強なのだ。
「黒歴史」から逃げない
例えば、あなたは徳川家康という男の名前を聞いたことがあると思う。
戦国時代、人質からスタートし、最終的には天下統一、江戸幕府を開いた「めでたしめでたし」の男だが、人生は逆境の連続。「我慢、我慢」の連続だった。
特に家康がその人生で重大な危機に見舞われたのは家康が31歳のとき。当時戦国最強と呼ばれた武田信玄が家康の領地に攻めてきた。血気にはやった若き家康は信玄の挑発に乗って決戦を挑んでしまい、結果どうなったか?
わずか4時間で家康軍は壊滅に追い込まれ、文字通り、人生が終わってしまう絶対的な危機を迎えた。これが家康の生涯において、唯一の決定的敗戦である。
戦場から必死で逃げるとき、家康はその恐怖のあまり馬上で「脱糞」してしまったと言われるほど、家康にとって弁護の余地がない完璧な敗戦。まさに黒歴史である。
なぜ家康が戦国の覇者になったのか?
普通の人なら、こんな恥を晒した戦いは二度と思い出したくはないだろうが、家康のスゴいところはここにある。
蹂躙され、大切な家臣たちを失い、そして自らも死の直前にまで追い込まれた家康。この惨めな戦を教訓とするため、家康はそのときの姿を絵に欠かせた。それが「しかみ像」と言われるこちらの絵である。
引用:徳川家康三方ヶ原戦役画像より
家康は何かあるたび、この絵を見つめ、自分を諌めたと言う。そして、家康は自分の過ちを教訓にして学び、そして最後には天下を手に入れた。
失敗という一番役に立つ教訓
この話から私たちが学べることはたくさんある。
失敗することは恥ではない。誰だって失敗する。忘れたいこと、二度と思い出したいこと、そんな辛い思い出は誰だって持っている。
問題は、その思い出にフタをしてしまい、「なかったこと」にしてしまうことである。それは本当にもったいないことだ。
むしろ、二度とは思い出したくない辛い思い出、忘れたい失敗ほど、積極的に思い出したい。そして、「もう二度と、同じ失敗は繰り返さないぞ!」と自分に強く言い聞かせたい。ここに黒歴史が存在する価値がある。
どうしようもならないほど手痛い失敗をする。そしてそれを糧に反省する。だから成長できる。この意味で、失敗はあなたの人生で学んだ貴重な教訓である。それを思い出すことは不愉快かもしれない。イヤな気持ちになるかもしれない。
しかし、そこには多大な気づきがあるのも確かなのだ。
最後に
失敗する。イヤな思いをする。
そういったことは正直、忘れてしまった方が精神衛生上良いかもしれない。しかし、起こってしまったことは仕方ない。そして、人生をより良く生きようとするなら、失敗を避けることはできない。
むしろ、失敗から積極的に学び、そこから教訓を得ることによって、最終的にはめでたしめでたし。転べば転ぶほど、人生で良い思いができるようになる。そのための絶対条件こそが、失敗から学ぶことである。
失敗する。そしてそこから学ぶ。同じ失敗は繰り返さない。こうして私たちは着実に成長していくことができる。だからこそ、あなたが人生で忘れられない苦い失敗があるなら、あえてその失敗と向き合うことを強くおすすめしたい。
それは絶対、無意味なことではない。そこから学ぶことを学べば、あなたの人生をより素晴らしいものにするための教訓に化けるのだから。