人生に目的がなければ、覚悟を決めて、自分でつくり出せばよいのです。この人生に居直ってやればよい。
澁澤龍彦
自分の人生は何のためにあるのか。
誰もが一度は悩む疑問だが、もしかしたら、人生の目的や意味を求めて自分探しをしても、探し続ける限り、それは永遠に見つけられないかもしれない。
しかし幸い、解決策はある。それは、人生の目的を自分自身で作り出すことだ。
目的を探しても見つからない可能性
見つかるかどうか分からない人生の目的を探し続けるよりも大切なのは、
「自分の人生はこうだ。自分はこういう人生を歩みたい」
と自分自身で人生を自己定義し、自らその道を歩み始めることだ。
人生経験はこういうふうに意味があって、だからこの道を進んでいく。
こんなふうに自分の人生経験を自分自身で意味付けをし、方向を決めた上で進んでいく。そのほうが、確実に人生の目的は見つかる。
それは人生の目的を探すよりもはるかに手っ取り早いし、確実性が高い。
自分で決めるから意味がある
自分で人生の目的を決めたとたん、不思議なことに、今までの人生経験が、驚くほど意味を持っていることに気がつく。
「そのために自分は人生でこういう経験をしてきたのだ」という「理由」に気がつく。
そうすれば人生にムダはなし。
人生でしてきたこと全て、何かしら意味があったことを確信することができる。そのときはさらに、人生に確固たる必然性があったことに、驚くだろう。
だからこそ、人生の目的は「探す」のではなく、自分で「作る」のである。
最後に
突如この世に生まれ落ち、人生を生き始める。
それなら、「なぜ」この世に生まれたのかという理由を探すよりも、自分自身でその理由を決めてしまった方が迷わないし、スッキリする。
自分の人生が何のためにあるのか。他人にとやかく決められるものでもない。自分は人生は自分のもの。生きる意味など、自分で決めればいい。
正しいか間違っているとか、そんなことは関係ない。「それでいい」のが、ファイナルアンサーなのだから。
出典
『快楽主義の哲学』