人生は選択の連続だが恐れる必要はない。最終的にはどんな選択であれ

運命の2人

ぜったいに、ぜったいに結婚しちゃいかんよ、きみ。できることは、すっかりやりとげた、と自分に言えるときまで、自分の選んだ女に対する愛からさめて、その女をはっきり見定めることができるときまで、結婚しちゃいけない。これがきみに対するぼくの忠告だよ。

さもないときみは、残酷な、とりかえしのつかぬ誤りをおかすことになる。何の役にもたたぬ、老人になってから、結婚することだ・・・さもないと、きみの中にある良い、尊いものが、すべて滅び去ってしまう。すべてがつまらんことに消耗されてしまう。

アンドレイ伯爵

人生とは選択の連続である。「自分で選ぶ」ことによって、次の未来が開かれる。

例えば結婚。妻、夫になる相手を決めるだけでなく、新郎新婦は誰を結婚式に呼ぶか、そして呼ばないかという選択によって、残す縁と切る縁を選別している。それはまさに「結婚式は縁の切れ目」という言葉のとおりである。

結婚に限らず、何かを選ぶということは、他の選択肢を消し去るということを意味する。「選択に失敗したくない」と考えるのは人情であるが、大切なのは選択するという行為それ自体である。

なぜなら人生で起こることに無駄はない。最終的には選択に失敗はない。どちらを選ぶにしろ長い目でみれば、その選択は必ず、意味を成す。

はじめに

作家の遠藤周作はその著作の中で、私たちには「生活」と「人生」、2つの視点が存在することを指摘した。

私たちは必ずしも生存するためだけにこの地上に存在しているのではなく、自分が自分としてこの世界に存在する意味を確認しようと試みる。それこそが「人生」という視点である。

それは世俗的な成功や物質的な豊かさの獲得を評価の基準にするのではなく、価値観や哲学、人としての在り方や生き方など、私たちの「存在」の在り方それ自体を問う視点である。

一方「生活」とは衣食住や仕事といった、文字通り、日々の現実的な事柄に対する視点である。私たちは「生活」という現実的な事柄を直視するからこそ、生存することができる。

日々目の前の現実的な事柄に対処しつつも自分はなぜ生きているのか?人生とは何なのか?悩み、考える。私たちは「人生」そして「生活」、この2つの視点をもとにして、この世界を生きていく。

その選択は本当に失敗なのか?

ここで重要なのは、「人生」における成功は必ずしも「生活」の成功につながらず、その逆も然り、ということである。

たとえばある人と出会い、結婚を選択したとする。それで「めでたしめでたし」になればいいが、月日が流れた後、相手との関係に変化が生じ、離婚という結末を迎える場合もある。

離婚という結果に終わる場合、離婚調停を通じ、婚費の支払いや親権の争いといった、金銭的な問題や精神的なストレスが降りかかる。このような出来事を経験したとき、それは「生活」という視点においては失敗と思えるかもしれない。

しかし「人生」という視点においては話は別である。

離婚という「失敗」を経験することによって、私たちはそれまで気づかなかったこと、見ようとしなかったことに気づく。それによって私たちは人としての幅を広げる機会が与えられ、「人生」に彩りと深みと厚みを与えてくれる。

そして自分という存在を更に深掘りすることになり、自分への理解だけでなく、他者への理解、そして世界への理解も深まっていく「きっかけ」になる。

このように、私たちが選択に失敗したと思えるような現実が訪れたとしても、それは必ずしも失敗とは限らない。「生活」の失敗というマイナスは往々にして「人生」のプラスになるのだ。

「現時点」での最善を選択する

学校。友人。結婚相手。仕事。余暇の時間の過ごし方。

私たちは日々、様々な事柄を選択することによって、自らの進む道、そして未来を選択する。そのなかでときに、自分が本当は望むことではないけれど、仕方なく選択せざるを得ない事もある。

常に「ベスト」ではなく「仕方なく」選ぶこともあるけれど、大切なのは与えられた用意された選択を認識し、「現時点」における最善を選ぶことである。今そこに選択肢があるならば選ぶ。そして開けた先へと進んでいけばいい。

常に成功することが必ずしも本当の成功ではない。一つの失敗が大成功に通じることもあれば、成功がむしろ長い目でみれば、大失敗へと通じることもある。

選択の結果が「人生万事塞翁が馬」であるならば、どちらかを選べばいい。選ぶことで私たちは、自分自身の人生に参加するのである。

最後に

人生は選ぶことによって次の未来が決まる。そして重要なことは、私たちにできるのは、選択を選択と認識した上で、「今現時点で最善だと思える選択を選ぶ」ことである。

そのとき、「この選択こそが正解である」と思っても、長い年月とともに、それが必ずしも正解ではなかったと思えることもあるだろう。だがそれでいい。その失敗によって生じたマイナスは、必ずどこかでプラスに転じる。

どんなことであれ失敗の可能性は常にある。いくら成功の見込みが高い事柄であれ、物事に「絶対」はない。結局のところ、やってみることでしか結果は分からない。万が一その選択に失敗したとしても、その経験はどこかで何かの意味を成す。

それならやってみればいい。今選択肢が与えられているなら、「選びたい!」と思える方を選べばいい。「選ぶ」という行為こそが、人生で到達する場所へと到達するために必要な、学ぶことを学ぶために必要な、「過程」なのだから。

出典

『戦争と平和(一)』