偶然や幸運は、しばしばその人の技能や先見性と同様に、いろいろな人々の運命を決める重要な要素となる。
ハイエク
率直に言って、人生で恵まれている立場にいる人の多くは、運の存在を否定する傾向がある。
すなわち、今自分が恵まれた立場にいるのは、すべて自分の努力と実力の賜物である。そう、努力が足りない。もっと頑張れば人生はうまくいく、と。そう考えて、恵まれていない人を否定するが、これはもちろん、一面では正しい。
そう、努力なくして道は開けない。自分で自分の道を切り開かんとする意志と意欲がない限り、人生は何も変わらない。そのことだけは確かである。
「運」という曲者
しかしながら、実際の人生では、運が大きく絡む。
生まれ持った不運によって、そこから抜け出すことができず、人生の不平等を嘆く人がいる一方で、生まれた瞬間から、何から何まで、恵まれる人がいる。
実力は同じなのに、やることなすこと裏目に出る人がいる一方、まるで奇跡が起こっているかのように、やることなすこと都合よく上手くいく人がいる。それはまさに、運としかいいようがない。
この意味で、自己責任論を語る上で大切なのは、そもそも人生は不平等であること。運が絡むものであるという現実を考慮する必要がある。
人生は100%自己責任ではない
人生は100%自分で決められるものでない。生まれつきの環境や、偶然の要素によって、道が強制的に決められてしまうこともある。
この意味で、人生を単純に「自己責任」の一言で片付けるのはやはり、無理がある。だから人生がうまくいかないとき、必ずしも「自分の責任なのだ」と悩む必要はない。
大切なのは、自分に後ろめたい生き方をしないことだ。人生全力で生きる。まっすぐ誠実に生きる。それさえできれば、自分を卑下する理由は一つもない。
最後に
机上の理論ではなく、実際そこで起こっている現実を見る人なら気づく。
人生がうまくいっている人は完全に自助努力の人なのか?人生がうまくいっていない人はただの怠け者なのか?その真実を。
だからこそ、何でもかんでも自己責任にすればいい話ではないのは確かだが、問題はそれでもなお、「どうするのか?」という話である。
大切なのは、自分が歩む道を断固として歩む意思を持つことである。
自分の人生を見捨ててはいけない。転んでもつまずいても気にしなくていい。また立ち上がり前へ進もう。そんな人にこそ、運も向いているのだから。
出典
『渡部昇一 青春の読書』