本当の意味で「運がいい」ということ

柔な眼差しの美女

人生ね、「いや~、今日は運がいいな」っていうのが、あるだろ。

だけど、みんなは「本当に運がいい」ということがどういうことだか知らないんだよ。

「運がいい」って、勉強する機会を与えられる、ってことなの。それで、それがちゃんと自分の身になってるんだよ。

勉強もしないで、うまくいったものを「運がいい」と思ってるけど、そんな運は偶然きたものだから、勝手になくなるんだよ。

それで、その運がなくなったとき、高いところから落っこちたのと同じように、大ケガをするんだよ。

元の位置に戻るんじゃないんだよ。たたきつけられる。元の位置にドンと落ちるから、ケガするぞ、上がれば上がるほど。

高いところから下に落ちて、ドンとたたきつけられるから、スゴい痛手を被るの。立ち上がれないほどの痛手を被るんだよ。

だけど、経験して学んで上がっていった人、勉強して上がっていった人は、めったに落ちないんだよ。

だって、上がり方を勉強して、着実に上っていったんだよな。だから、落ちないんだよ。

だから、勉強もしないで上がっちゃった人は、上がり方をあわてて勉強して、実力をつけなきゃいけないんだよ。

それで、本当は、勉強できる機会を神が与えてくれたことを「運がいい」っていうんだよ。

斎藤一人

人生は「ツイてない」より「ツイてる」ほうが楽しい。

しかし大切なのは、人生どんなことが「ツイてる」のか。そして「ツイてない」のか。

勘違いしないことである。

私たちは人生で良いことばかり起こることが「ツイてる」と考えてしまうが、実際はそんなことはない。

むしろ悪いことや辛いことが起こることが長い人生、「ツイてる」ことだってあるのである。

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なぜ宝くじの高額当選者は不幸な人生を送るのか?

人生はまさに塞翁が馬で、一見「ツイてる」ような出来事が実は、とんでもない不幸を招き寄せる原因になることは少なくない。

例えば有名な話だが、宝くじにあたってとんでもない大金を手に入れた人の多くは手に入れた大金を失い不幸になる例。

ある日突然、「幸運」によって大金を手に入れたものの、それは実力ではなく運によって手に入れた大金。

つまり身の丈に合わないお金を手に入れた結果、全て失い、人によっては借金まで背負ってしまう。

与えられて奪われる。それはまさに不幸の極み。幸運どころか、人生で地獄の苦しみを味わう不運である。

キーワードは「身の丈」相応

一方で、人生で日々経験する不幸。やることなすこと失敗する徒労。努力するのに報われない失望。

私たちはこのようなことを「ツイてない」ことと考えてしまう。

しかし実際これらの不運は、不運どころか将来の幸運の種となるかもしれない意味のあることである。

人生がうまくいっていないとき、私たちはうまくいかないことを通じて、その後に大失敗しないための学びを得ているかもしれない。

やることなすこと失敗することによって、自分にとって何がうまくいくのか。どの道へ進むのが正解なのかを学んでいるかもしれない。

つまり私たちは人生で失敗しまくることによって、必要な勉強をさせてもらっているのである。

だから、本当の幸運がやって来たとき。身の丈相応。

やって来た「幸運」に人生を潰されることなく、安全にその「幸運」を享受することができる。

これがツイてる考え方

人生、自分の身に過ぎたる幸運がやって来たとき。自分の実力以上に人生がうまくいき過ぎたとき。振り子の揺れ戻しは激しい。

それはまさしく、山高ければ谷深しで、上にいればいるほど。それまでの人生がうまくいっていればいるほど。

下に落ちたときのダメージは激しい。だから人生、自分の身にそぐわない幸運は幸運などではない。

むしろ人生長い目見れば、とんでもない不運かもしれない。

だから、人生で素晴らしい幸運などやって来ないほうが、むしろ安全安心に、前へ進んでいくことができる。

自分の人生、身の丈に合った生き方をして、その時その時、必要なことをきちんと勉強していく。

一見「ツイてない」ことが起こったときも、「これは自分の勉強なんだ」と考えて、必要なことを学んでいく。

それによって逆に、自分が「ツイてる」ことを実感できる。これが運と安全に付き合う考え方である。

出典

『斎藤一人 商人道』(PHP、2011年)

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