幸せはいつまで待ってもやって来ない。もし見つけたいのなら

今、ここで

幸福は高邁なもの。幸福になることを欲し、それに身を入れることが必要である。

幸福のはいるにまかせて戸を開けておくだけで、公平な傍観者の態度にとどまっているならば、はいってくるのは悲しみであろう。

アラン

「しあわせは 歩いてこない、だから歩いてゆくんだね」

という歌があるが、一般的に幸せになるためには、自発的な努力が必要なようだ。自分から努力して、試行錯誤し、結果として「幸せ」が手に入るという考え方をしている人が多い。

ところが不思議なことに、幸福な人は何もしていなくても幸福を感じているし、不幸な人は、何を得ても、どんなに努力をしても不幸なままだ。

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幸せが見つかる人見つからない人

幸せを客観化したり数値化することはできないが、これだけは言えると思う。すなわち、人には幸福を感じるセンサーがあって、それが鈍い人と敏感な人がいるということだ。

幸福を感じるセンサーが鈍い人は、そのままの状態では不安で、理由をつけて行動し、幸福を手に入れようとする。そういう人にとって、「しあわせは歩いてこない」ものであり、自分から探しにいくものだ。

つまり自分は幸せではない。その原因はお金がないことや人生で成功していないこと。愛されないこと。理由は何でもいいがともかく、自分が幸せになれない原因があると信じているのである。

だから幸せは探さなくていい

一方、幸せセンサーが高い人はどうか?幸福を敏感に感じられる人は、いつも通りの毎日を送っていて、何もなくても満足してゆったりしている。

日々の見慣れた光景、いつもの時間の過ごし方、接した人、日常の1コマ1コマに喜びと幸せを見出すことができる。

彼は金持ちでもないし、社会的成功者でもない。異性からモテモテでもない。彼はわざわざ幸せを探しにいく必要はない。なぜなら、彼の周りは既に幸せでいっぱいだからだ。

確かに、世の中にこのような幸福な人がいるのだ。そして幸せになる極意はまさにここ。今そこにあることに気づくことになるのである。

出典

『幸福論』