一見、自分を誤魔化すということは不純であり不誠実にみえるかもしれぬ。しかし、愛情や恋愛では多くの場合、このような自己欺瞞さえ必要なのだ。二人の結びつきをいつまでも持続するためには。
遠藤周作
恋愛は情熱によって続く。しかし結婚すると情熱は消えてしまう。
結婚は続けることに意味があることで、情熱を求めるものではない。もう好きでなくなった、だから結婚をやめてしまうのはいけない。
もう「好き」という気持ちを感じない、ときめかない、股間も熱くならない。それでも、女を棄てずにいる。それこそが愛であり、結婚生活である。
ある人は恋と結婚についてこのように語ったが、なるほど、確かにそういうものなのかもしれない。
恋は情熱。愛は継続。
言われてみれば、誰かを好きになることは誰にでもできる。それは腹が減れば何かを食べたくなるようなもので、全く苦労なく、自然にできることだ。
しかし、誰かを愛するというのは誰にでもできるものではない。
誰かを熱烈に好きになったとしても、その感情は必ず色あせてしまう。会いたくて仕方ない、声が聞きたくて仕方ない、体温の感覚が恋しくて仕方ない。
そういう恋相手ですら、いつかは気持ちもなくなって、得られた刺激、喜びは失われる。
愛というのは恋が終わってから始まるもので、もはや何の魅力も刺激も得られなくなった相手を好きで居続けるのは、とても大変なことだ。
一度は好きになった事実
誰かを好きになることはかんたんだ。しかし愛することは難しい。
それを考えると、つまりは愛とは継続であって、継続のためには技術が必要だと思う。ときに自分を騙す必要があるのも確かかもしれない。
それはたぶん、とても難しいことだと思う。でも誰かを愛することでしか、学べないこともあるはず。
誰かを好きになって結ばれた。それなら、かんたんに棄ててはいけないのだ。もう「好き」ではなくなったからといって、愛を終わらしてはいけない。
恋をして愛を育んだ。その事実に大切な何かがあるはずなのだから。
出典
『愛情セミナー』