恋は落ちるもの、愛は愛するもの。この意味で運命の人とは

女性の顔のどアップ

運命の人は存在しません。

運命の人がいるのではなく、この人は運命の人だと決めるというのが本当です。

岸見一郎

誰かと出会い、恋に落ちる。

これは極めて自然発生的なことであり、朝が昼になり、そして昼が夜になるのと同じである。

つまり、恋に落ちることは誰だってできる。しかし愛することは、ごく一部の人しかできない。

なぜなら、愛とはその人を愛さんという、人の意志そのものだからである。

恋は落ちるがやがて冷める。それはどんな熱烈な恋であろうと、絶対に避けられない運命である。

そしてその先、本当の愛があるかどうかはひとえに、人の意志にかかっている。すなわち、恋が冷めたあと、なおその人を愛するかどうか。

そこに、恋と愛、決定的な違いがある。

恋しているときの熱烈な感情が冷めてなお、その人と一緒にいようと思う。その人を大切にし、愛そうと思う。

もしそんな気持ちを抱ける誰かがいるとすれば、その人こそがまさに愛する人であり、運命の人である。

恋が冷めてもそんなことは関係ない。ともかくその人を愛そうと思う。ともに人生を生きようと思う。その感覚にあれこれ説明の必要はない。

ただ、ともに運命を全うしていけばいい。そして、人を愛することの喜びと悲しみを、存分に味わえばいい。

そこにこそ、運命の人と邂逅した意味があるのだから。

出典

『愛とためらいの哲学』(PHP新書、2018年)