痛みには2種類ある。成長に必要なものとただつらいだけの無益な痛みだ。私は無益を憎む。
フランク
私たち日本人にとって我慢すること。耐えることは美徳である。
しかし何でもかんでも我慢すればいいという話ではない。それはただの思考停止である。自分を無意味に痛めつけるだけの愚行である。
大切なのはその我慢をすることに意味があるか?自分の頭で考えた上で、忍耐力を発揮することが大切である。
はじめに
「石の上にも三年」という言葉がある。これは我慢強さの大切さを説いた言葉で、それは一面では正しい。
「これはなんとしても!」という大望を抱いたとき、必要なのは忍耐である。粘り強く努力を続け、状況が変わることを信じ続ける、強い忍耐に裏付けされた信念である。
自分にとって本当に大切なものを守ろうとするときは必ず、忍耐が要求されるものだからである。
「耐え抜けば強くなれる」という勘違い
ただし、何でもかんでも我慢すればいいという話ではない。場合によっては今すぐ「見切り」をつけた方がいいこともある。
私たち日本人は「我慢によって人格やメンタルが鍛えられる」という根拠不明な思い込みをしているが、思考停止の我慢は状況を良くはしない。むしろ、ますます状況を悪くする。
なぜならそれは我慢することによって問題解決を先延ばしするという悪手だからである。
例えばあなたが学校や職場でいやがらせを受けたとき、あなたが選ぶべきチョイスはいやがらせに耐えることではない。
問題を解決するための行動を起こした上で、自分の安全を最優先に確保するのである。必要なら、その場から逃げてもいい。
傷が浅いうちに手を引いてチャンスを待つ
人生は生きてさえいれば必ず、生きていることの喜びを実感できる素晴らしい時期がやって来る。今底の底にいるとしても、再起の可能性は残される。
この意味で自分を不要に追い詰めるのは無意味どころか有害である。
だから「我慢すれば・・・」という間違った選択によって自分を必要以上に追い詰めてはいけない。
思考停止してイヤなことを耐え抜いた結果自分に重大な損害を与えるかわりに、イヤなことを避けることを優先していい。
大切なのは、それを我慢することに、意味があるかどうかである。
我慢しても苦痛しかもたらさない。我慢が報われない。そんな我慢なら、今すぐやめたほうがマシである。
基本的に無理なことは無理
あと一つ、現実的なことを言うならば、世の中には我慢しようがしまいが、もはやどうにもならないことがある。
そういうときに大切なのは見極めである。自分の主体的な行動によって状況を劇的に変えることができるか?その確信があるならば、我慢はあなたの力強い友軍となるだろう。
しかし、我慢し目の前の苦しみを耐えたところで、その先に一切の光が見えてこない状況なら。今すぐ見切りをつけることで、あなたが再起する可能性を高めるだろう。
最後に
なんでもかんでも我慢する。耐えていれば状況はいつか変わる。そもそも、耐えることが人として美しい。
それは日本人の「美徳」かもしれないが、それに「意味」があるかどうかは別の話である。30年の我慢の先に待っていたのは不幸だけ。そんな結末が用意されているのがこの世の現実である。
だから我慢はケース・バイ・ケース。「この我慢は意味がない」と分かったことは瞬時に見切りをつければいい。
人生は一度きり。私たちには、今の自分にとって最も適切な行動を選ぶ自由があるのだから。
出典
『ハウス・オブ・カード』