自分の人生なのだから、自分が望まない人生を送ることに意味があるとは思えません。誰も、他の人の期待を満たすために生きているわけではありません。
自分で責任を引き受ける限り、自分の人生は自分が生きていいのです。他の誰が自分の人生を生きてくれるというのでしょう。
岸見一郎
人生とは簡潔に言って、自分という名の物語である。
当然、その物語の主人公は自分であり、自分だからこそ歩める道。自分だからこそ紡げる物語がそこにある。
その決定権はすべて自分に委ねられており、だからこそ、その責任は果てしなく重い。
この意味で、後悔しない人生を送れるか送れないか。それはまさに、その責任を自覚できるかできないかにかかっていると言っても過言ではない。
自分の人生に対して自分自身で心から責任を持つのではなく、他人の期待を満たすために仮初めの人生、偽りの人生を生きようとする。
そんな「逃げ道」を選ぶことはできるが、その先の道は、「自分の人生を生きてこなかった」という後悔が常につきまとう。
だからこそ、たった一度きりの自分の人生を真に生きんとするならば。自分自身でその責任を引き受けて、自分が思うがままに生きること。ただそれだけでいい。
極論を言えば、その人生が幸せだったか不幸だったか。そういうことはどうでもいい。
問題なのは自分で責任を持ち、自分の人生を生きようとしたかどうか。その一点だけが重要である。
心の底から自分が生きようとする生き方ができたなら。その後の結果は関係ない。
幸せだろうが不幸だろうが、「これが自分の人生だった」と、心の奥から満足できる。そこにこそまさに、人生を生きた意味がある。
それは正真正銘、自分と言う名の物語なのだから。
出典
『困った時のアドラー心理学』