「悔いの無い人生」とは何か。
それは苦労も困難も無く、失敗も敗北も無く、挫折も喪失も無い、「完璧な人生」のことなのだろうか。
「悔いの無い人生」とは、安楽と平穏に満ちた人生、成功と勝利に彩られた人生、調和と充実で形容される人生のことなのだろうか。そうではないだろう。
もし、それが「悔いの無い人生」の意味であるならば、この地球上に生を与えられたすべての人々が、「悔いのある人生」を生きることになる。
なぜなら、我々の人生においては、人により、その大きさの違いはあっても、かならず、苦労や困難、失敗や敗北、挫折や喪失があるからだ。
では「悔いの無い人生」とは何か。それは、苦労も困難も無く、失敗も敗北も無く、挫折も喪失も無い、「完璧な人生」のことではない。
それは、こうした出来事を、次の言葉で語れる人生のことだろう。
「それがあったからこそ」
田坂広志
人生は一度きり。
その一度きりの人生で、できるかぎりの最善を尽くし、「自分の人生はこれで良かった」と心から思えるなら。自分自身で納得することができるなら。
その人生はきっと正解。何がどうあろうと、それで良かったのである。
人生に失敗はない
私たちは、なりたい自分になって、夢を叶え、理想の生き方を実現すること。それこそがまさに、人生における成功だと考えるかもしれない。
しかし、もしそれだけが人生の成功だと考えてしまうと、「自分の人生は失敗であった」と自分の人生を過小評価し、その大切な意味を見失ってしまう。
そうではないのだ。
私たちの人生は、成功できなくてもそれは失敗ではない。なりたい自分になれなかったとしても。人生は決して失敗ではない。生きるに値する何かが、必ずそこにあるのである。
約束されるただ一つのこと
残酷な挫折や失望。苦悩に喪失。
人生生きていく上で、自分の意志ではどうにもならない出来事がそこにあるのは、否定できない現実である。
いくら理想の人生を心に描き、それを実現しようと最善の努力をしたところで。
大きな運命の前では、自分の意志。そして努力がいかに無力なのかを、嫌というほど思い知らされるだけである。
この意味で、人生成功は何一つ、約束されていない。そのかわり、一つ約束されていることがある。それは、人としての成長である。
これが「気づく」という意味
人生で何があろうと、私たちは立ち上がり、そこから何かを学ぶことができる。
たとえすべてを失ったとしても。すべての努力が無に帰して、理想の人生を実現できなかったとしても。
なぜそれが起こったのか。自分の何が問題だったのか。何かを学び、成長することができる。
だから人生、生きる意味は必ずある。何かを実現することや、何かを手に入れることだけが、人生における成功とは限らないのである。
最後に
悔いのない人生を送る。
それなら人生の意味を決して、人任せにしてはいけない。すべての意味を、自分自身で見出すのである。
一体何のために自分の人生があったのか。何のために苦難や挫折。困難。失望があったのか。その意味に気づけるのは自分だけ。
だからこそ気づきたい。「それがあったからこそ、自分の人生は生きる意味があったのだ」と。
出典
『未来を拓く君たちへ』