苦しいことはそもそも間違い。ただ、気づくだけで人生は上向き始める

ラクに楽しく生きる

言ってみれば、「気持ちがラクになるということは、正しい」ということなんだよ。苦しいことが間違いなんだよ。だって、俺たちは幸せになるために生まれてきたんです。

斎藤一人(『斎藤一人 自由力』より)

人生において、自分が正しい方向に進んでいるのか、それとも間違った方向に進んでいるのかを正しく判断するためのポイントがある。それは「苦しいか、苦しくないか」ということである。

私たちが正しい方向へ進んでいるとき、気分は楽であり、「これでいい」という安心感を抱くことができる。身体もリラックスし、努力に無理がない状態である。

「人生即努力。努力即幸福。」確かにその通りかもしれない。しかし私はここで、声を大にして言いたい。「間違った努力を、する必要はない」と。

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その道は、やめておけ。

私たちが間違った方向へ進んでいるとき、そこには必ず兆候が現れる。明確な理由はわからないものの、気分は苦しく、「これでいいのか?」という不安が常に付きまとう。

そして、「頑張っている」「努力している」と感じているにも関わらず、楽しくなく、日々が辛い。正確に言えば、努力していても苦しく、不安である。このようなときは、最初から気づくべきである。

「それをするのは間違いだ。そちらへ進んではいけないのだ」と。その感覚は、自分自身の直感が示す、偽らざる本音である。

自分を信じる。それが最終的には自分にとっての「正解」

人生において、自分にとっての正解を選んでいるとき、不幸になることはない。

もちろん、それを選んだからといって、人生における困難や障害がゼロになるわけではない。しかし、気持ちはまったく異なる。

むしろ、人から見れば「大変ですね」と思えるような状況であっても、気持ちに余裕があり、楽しさや幸せを感じることができる。そして結果として、行動そのものに夢中になり、その努力は実を結ぶのである。

なぜなら、その道は自分にとって正しいからである。正しい方向へ進むことは、無理なく自然なことであるからだ。

つまり、自分は自分にとって正しいこと、自然なことを、最初から知っているのである。

自分の役割を果たすために

私たちは、ときに自分を見失う。社会や周囲の人々の声によって、自分が感じることや正しいと思うことを見失ってしまうのである。

だが、自分の声をかき消すことはできない。それは直感や気持ちといった、明確ではないものの曖昧な感覚として、自分に語りかけてくる。だからこそ、自分の声なき声に耳を傾けることが大切である。

「それは違う」という努力をすることは個人の選択であるが、人生は有限である。限りある試行回数を自分のために活かすことによって、それは最終的に人のためにもなる。

なぜなら、自分が自分としての役割を果たすことこそが、全体の役割の一部を担うからである。

最後に

世の中で、幸せな人より不幸な人が多ければ、全体に暗い空気が世の中を覆うことになる。だが、人がそれぞれ自分にとっての正解を生き、その結果として周囲と調和することで、世の中は明るくなる。

私たちにできるその第一歩が、苦しいことをやめる、手放す、ということである。人生がうまくいくために難しいことは何もない。自分が苦しくならないことをすればよい。そして、自分が苦しくなることをしなければよい。

結局のところ、苦しいことそれ自体が、十分に間違っている証拠である。無理なことはどうやっても無理だし、辛いことは辛い。自分の感覚を無視せず、大切にすることである。

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