「限界」を知ることから始まる、自分らしい人生

3人の女性

この世で自分が頼っていいのは、自分だけです。人間は、失敗や屈辱やつらさを取り込んで免疫に変え、頼りがいのある自分を築いていくべきなのです。

ヤマザキマリ

「自助努力」という言葉がある。この言葉は確かに大切で、「自分の人生は、自分自身で切り開く」という心意気を持つことの大切さを否定するつもりは一ミリもない。

その一方で、この言葉には重大な危険が潜んでいることも指摘しておかなければならない。それは、自助努力が過大な自己責任論にすり替わってしまうこと、つまり自己に対して過剰な信頼を持つことへの危険性である。

自分さえしっかりしていれば、何でもできるし、何にでもなれる。そう信じることは大切だが、私たちにはできることがある一方で、できないこと、なれないものも確かに存在する。

自分の可能性を信じつつ、自分の限界を謙虚に認めることもまた、人として大切なことではないだろうかと、私は思うのである。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

はじめに

私たちには限界があることを理解する上で、とてもわかりやすい例え話がある。それは、私たち全員が大谷翔平選手のようなスーパースターになることはできない、という現実である。

例えば、あなたには10歳の男の子がいるとしよう。彼は野球のプロ、特にアメリカのメジャーリーガーを目指している。日本には、こうした少年がたくさんいる。

そこで、である。あなたは知っているだろうか?日本の少年がアメリカのメジャーリーグでプロになれる確率を。その確率は、ブロガーの鈴木傾城氏によると、なんと0.0数%であり、1%を大きく下回る確率だという。

その厳しすぎるハードルを超えた先で、更に大谷翔平選手並みの活躍ができる可能性は、まさにベリーハードどころではない。私たち一般人にとって、それは「不可能」と表現してもいい、厳しい現実である。

「平凡な人生」の何が悪いのか?

誰もが皆、輝かしい人物になることはできない。それは、ごく一部の限られた人だけが歩む人生である。

だからこそ、私たちは何者かになることはできるが、決して「無限の可能性」が与えられているわけではない。「限界がある」ということを、認める必要があるのではないだろうか。それは決してネガティブな話ではない。

自分の限界を知るからこそ、自分ができることを理解し、地に足をつけた人生を送ることができる。つまり、自分の分を知り、足るを知る人生を歩むことができるのである。それは場合によっては平凡な人生と表現されるかもしれない。

だが、私たち一人一人に用意されている、固有かつ素晴らしい人生であると、私は考えている。そして、平凡な人生は平凡な人生として、一つの価値ある人生であると、私は信じている。

「頼りがいのある自分」に気づく方法

「人と比べる」ことは、私たちの人生における不幸の始まりである。人と不必要に比べるからこそ、自分の人生が頼りなく、何かが欠けていて、劣っているように「思わされる」

だが、人それぞれ、人生は違う。用意されている物語や学びは異なる。なのになぜ、私たちは人と自分を比べる必要があるのだろうか。

人生でいわゆる「成功」をつかもうが、失敗しようが、今こそ私たちは、「自分は自分の人生を歩む」ということの意味を知り、「自分の人生」から肯定的な何かを見出すことが大切ではないだろうか。

そして、「自分の人生」の意味や価値を決めるのは、他ならぬ自分自身である。それを始めたとき、私たちは気づくことができる。すぐそこに、「頼りがいのある自分」がいることに。

最後に

私の好きな言葉に、「草莽」という言葉がある。それは、私が密かに私淑する人物が大切にしている言葉であり、「草莽」とは、いわば名もなき私たち一人一人を指す。

私たち一人一人の存在は小さく、もしかしたら、そこに何の力もないように思えるほどの弱い存在に見えるかもしれない。だが、私たち「草莽」が自らの役割を自覚し、微力ではあるもののその力を発揮することによって、何かを成し遂げることができる。

「草莽」という言葉は、そんな可能性を私たちに教えてくれる言葉である。だからこそ、私たちは皆、輝ける何者かになる必要はない。大谷翔平選手のような大物になる必要はない。

私たちは私たちとして、それぞれの人生で、それぞれの自分を目指して、丁寧に自分の人生を歩んでいくことが大切ではないだろうか。

出典

『ヤマザキマリの人生談義』