
人生は苦である。しかし、それを生き続けることを可能にしてくれるのが慈悲なのです。
ジョーゼフ・キャンベル(『神話の力』より)
「人生は、幸せであるべき」
そう考える人は少なくない。そして、それ自体は間違っていない。だが、「幸せ」であるためには、欠かせないものがある。それが「不幸」だ。
私たちの感覚は、驚くほど忘れっぽい。良いことが続けば、最初はその「幸運」に感謝し、心から喜ぶ。
しかし、その状態が続くと、次第にそのありがたさを忘れ、当然のことのように錯覚してしまう。その期間が長ければ長いほど、喜びは薄れ、味気ないものになっていく。
だからこそ、常に富み、常に成功し、常にそのニーズを満たすことができる人は、逆説的だが、永遠の渇きに苛まれる運命にある。それはまるで、映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』に登場する、呪いをかけられた骸骨の海賊たちのようだ。
確かに彼らはすべてを手に入れている。しかし、その喜びを実感することはできない。それこそが、人生における痛烈な皮肉の一つである。
はじめに
「幸福な人生」の定義は人それぞれだが、私には「これこそが幸福な人生だ」と思える型がある。そのキーワードは、「ほどほど」だ。
人生には、良いこともほどほどにある。同じく、悪いこともほどほどにある。良い出会いもほどほどにあって、そうでない出会いもほどほどにある。健康で元気な日もあれば、ときに病気で動けない日もある。
こうした、良い出来事と悪い出来事がほどほどに用意されたバランスの取れた人生こそが、「幸福な人生」であると私は思う。
なぜなら、良いことも悪いことも両方経験するからこそ、人生で起こる一つ一つの出来事の価値を実感できるからである。
「恵まれたから」こそ絶対に学べないこと
お金の価値を知るためには、「なぜ、自分はお金のためにこんな苦労をしなければならないのか」という経験が不可欠である。
例えば、裕福な家庭に生まれ、必要なものはすべて与えられ、その生存に何の不安もない人が「お金なんて、意味がない」と言ったところで、瞬く間に失笑され、世間知らずの烙印を押されるだけだろう。
なぜなら、彼もしくは彼女は「お金がない」という経験をしたことがないため、お金があることで得られる喜びや利益も、お金がないことで味わう苦労も、実感として理解できないからである。
そのため、そうした発言は必然的に、空虚な綺麗事に終始せざるを得ない。
「失った経験」を持つ人だけが実感可能な人生の価値
その一方で、こうした人物がいるとする。
「私はすべてを失いました。住む家も、家族も、仲間も、誇りも、すべてを。そしてそこから5年かけて、自分の人生を取り戻しました。今では、1円でさえ粗末にすることはありません」という人物だ。
この人物は、すべてを失ったからこそ、お金があることの意味をはっきりと実感できる。そして理解している。お金があるからこそなれる自分があり、お金があるからこそ成り立つ人生があることを。
もちろん、私たちはこの人物のような極端な経験をしなくて済むなら、それに越したことはないだろう。しかし、「良いことしか起こらない」人生を期待するのは損である。
喜びと悲しみはコインの裏表。成功と失敗、幸運と不幸、幸福と不幸も、すべて同じ一対で存在する。人生で起こることは表裏一体であり、意味があるからだ。
その出来事の価値を、今すぐ決めるな
大切なのは、人生で起こったことの表面だけでなく、その裏の意味にも意識を向けることだ。
たとえば、人生で望まない悲しみが訪れたとき。それは悲しみだけを運んではこない。その裏には、「未来のどこかで、この悲しみがあったからこそ味わえる喜びがある」という意味が隠されていることに、意識を向けるのだ。
皮肉なことだが、その悲しみが深ければ深いほど、のちに訪れる喜びは、より味わい深くなる。そう、山高ければ谷深し。明と暗、その対比がはっきりしていればいるほど、人生の価値を実感しやすい。
実際、人生はあまりに「伏線」が多い。「なんてこと・・・」と絶望した出来事が、三日後、三か月後、あるいは一年後には、「あの出来事があったからこそ、今の自分がある」と感謝に変わることは、人生の「あるある」である。
最後に
人生を一面からだけ見て判断するのは、あまりにももったいない。喜びも悲しみも、起こることには意味がある。それは、人生で起こるすべての出来事が、一対の意味を成すからだ。
つまり、悲しみは喜びを知るために。失敗は成功のために。病気は健康のために。両方を経験して初めて、私たちはその価値を本当の意味で実感できる。だからこそ、私は「ほどほど」が幸福だと考えている。
圧倒的な成功も、莫大な富も、たくさんの友人も必要ない。再起不能な失敗を避けつつ、ほどほどの人生がうまくいき、衣食住が満たされ、人生でやるべきことに必要なお金があり、無理なく価値観を共有できる友人が数人いれば十分だ。
人生に光が当たりすぎれば、影も濃くなる。だからこそ、ほどほどの幸せとほどほどの不幸、そのバランスが保たれた人生こそが本当の幸せだと、思うのだ。
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