思えば遠くへ来たもんだ 故郷離れて六年目
思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら
武田鉄矢
人生はどうなるか分からない。
小さな田舎で一生を終えるつもりが、故郷から遠く離れた都会で暮らすことになって、そこで女と出会ってともに暮らす。
そして気がつけば、その場所が一生の住処となっている。
10代の頃を夢を持って生きていたけど、その夢が叶わなくて、気がつけば堅い仕事に就き、安定収入を得ている。
しかしそれはとても退屈で「人生、こんなはずじゃなかった・・・」の連続。「俺の人生はこのまま終わるのか」と諦観している。
人生はそんな思いどおりにならないこと、想定外の連続で、これから先がどうなるか、それはそのときが来ない限りは分からない。
本当に価値がある人生とは
私たちは、「人生、こんなふうに生きたい」と希望を持つことはできる。
しかし、希望と現実は往々にして異なるもので、結局は、「こんなふうにしか生きられなかった」という場所へ落ち着いていく。それは悲しいことのように思えるかもしれない。
しかし、もしかしたら、「希望した人生」より、「こんなふうにしか生きられなかった人生」の方にこそ、実は大きな意味があるのかもしれない。
それこそが運命であって、経験すべき必然性があったからこそ、そんな人生を送っているのかもしれない。
そう考えると、たとえ今の現実が冴えない、楽しくない、無意味に感じるものであったとしても、そこに何らかの意味が見いだせるはずだ。
大切なのは自分が自分であるということ
人生どこでどうなるか分からない。
今の人生がたとえ、不如意なものだったとしても、遠い道のりをずっと歩んできたこと、そして今立っている場所にいること、それは何らかの意味があるはず。
この先どこまで行くのか。最終的にどこに辿り着くのかは分からないが、何せよ、人生は、最後まで進み続けたい。
それが幸せであれ不幸であれ、最終的には関係ない。自分がこの道を歩んできた。いや、この道しか歩めなかった。
その道程にこそ、人生を生きる意味。何より、自分が自分であることの意味があるのだから。
出典
「思えば遠くへ来たもんだ」