なるようにしてなった。それを人は運命と言う

我が道を行く女性

人生を歩むについてはたくさんの選択肢が可能であったのに、結局ここに来たわけで、これを私は選んでいるところをみると、意志のほかに、ほかのものを選ばせない無意識のものがあったのではないでしょうか。

遠藤周作

あたり前かもしれないが、あなたには自由意志がある。

あなたは自分で「生きよう!」とする道を進んでいくことができる。いくつもの選択肢があるなかで、あなたが進みたい道を進むことができる。

そして、最終的にはあなたは道を選び、その道を進んでいく。問題なのは、なぜその道を選んだのか、ということだ。

選択肢はいろいろあった。にも関わらずその道を選んだ。そこには意志があったのかもしれない。ではなぜ、他の選択肢を選ばず、その道を選んだのか。

ここに人生の面白さと不思議さがある。

つまりこういうふうには考えられないだろうか?

「人には自らの道を選ぶ意志があるのかもしれないが、最終的には結局、歩むべき道を歩むことになる」

と。

だからこそ人生は不思議である。人はそれを運命と呼ぶが、確かにそれは納得できる。

いくつもの選択肢があったなかで歩むようになった道。いろんな選択肢があったなかで選んだ道。これを運命と言わず何と言うのか?

自らの意思で選んだと思っていた道ですら、もしかしたら、何かの力によって、その道を選ぶようになっていたのかもしれない。

生きることは不合理の連続である。しかしだからこそ人生の妙意がある。

そう考えると、今あなたが立っているその場所、進もうとしているその道には、あなたの人生において、限りなく大きな意味が隠されているのかもしれない。

そこに歩むべき運命があるのだから。

出典

『落第坊主の履歴書』(日本経済新聞出版社、2013年)