結婚は「条件」よりも「必然性」。2人のほんとうの関係は結婚後に試されるから

新婚さん

(生涯で一度だけすることを前提として)結婚する。その決断をするにあたって、

「失敗したくない!」

「後悔したくない!」

と考えることは自然である。

恋愛は後先考えずにできるが、結婚はできない。その後の人生を共有する相手となるのだから、悩むに悩むのは当然の話である。そこで、自然な形での恋愛の結果結婚するのではなく、最初から結婚を前提に相手を探す場合、とかく意識されるのが相手の「条件」である。

結婚はしばしば、市場にたとえられる。結婚希望者は市場参加者である。そこで自分の「市場価値」を認識する。その上で、「フェアな取引」ができそうな相手を見つける。

この方法は確かに、「結婚をする」という一点のみの目標を「達成」するためには効果的な行動であるし、そういったビジネスや方法を否定するつもりは1ミリもない。それは確かに、「結婚する」という目的を達成するための方法としては、合理的な手段である。

だがその上で、ほんとうに結婚は条件で決めるべきなのか。「自分の分」をわきまえ、市場価値に応じた相手を見つけて結婚することがベターなのか。「それでいいのだろうか?」と悩むあなたに、一つの見方をご紹介したい。

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はじめに

すでに学校を卒業した社会人にとって、普段の生活のなかで自然に「結婚相手」を見つけることは意外とハードルは高いかもしれない。

だが相手を見つけることは、最初から「出会い」そして「結婚」を目的とするサービスを利用することによって、普段の生活のなかで相手と偶然出会うより、遥かにその目的が果たされる確率は高まる。

たとえば婚活。サービスに申し込み結婚市場に参入する。そこで自らの市場価値に基づき、相手を探すことによって(もしくは紹介を受けることで)、「結婚相手となる可能性がある人と出会う(紹介を受ける)」ことは確かに可能である。

このとき重要となるのが、

1.年齢

2.勤務先(収入)

3.見た目など

といった、自分が持つ諸条件である。

相手の条件を云々する前に1にも2にもまず、自分自身がその市場においてふるいにかけられる。そのとき婚活市場で自分の条件が評価されやすい条件であるならば、「希望」は比較的通りやすい。

一方、自分の条件が婚活市場において評価されにくい場合、自分に与えられた条件とマッチする相手は限られ、紹介される相手それ自体が少なくなってしまう傾向がある。良い悪いは別としてはそれはそういうシステムになっている。

ここで重要なのは、「婚活市場とは言わば契約市場である」という特徴を理解することである。それは、「私たちがどのような人間であるか?」というよりもむしろ、「どのような条件を兼ね備えた人間であるか?」が重視されることを意味する。

2人の関係が試されるとき

「私はAという条件を大切にしています」

条件をすり合わることはたしかに、大切なことである。

人それぞれ、人生で望むものはあるだろう。パートナーに望むものも、あるだろう。それはそれでいい。だが私たちが相手に何かを望むとき、一つ理解しておく必要がある。それは、「条件」とは現時点におけるものである、ということである。

例えばあなたは経済的な安定を望み、結婚相手に「年収◯◯◯万円以上」という条件を求める。

その時点で、相手がその条件を満たし、かつ、相手もあなたの条件にOKを出すのであれば、あなたと相手の関係はスムーズにつながり、その後の発展へとつながる。その上であなたは最終的に「ゴールイン」という目標を達成する。

ところが、である。結婚後、あなたが「条件」としていた「年収◯◯◯万円以上」は結婚時点で満たされているものの、「結婚後」に突如として、変わってしまう可能性がある。

それが良い意味で変われば問題はないが、悪い意味で変わってしまうこともある。それはあなたが相手に対して望む条件だけでなく、相手があなたに対して望んでいた条件も、同じである。

すなわち、年収や外見、婚活でしばしば重視される「条件」とはその時点において満たされているものである。そしてそうした「条件」は、結婚後に変わりうる。

問題はそのときである。「条件をすり合わせた相手と結婚し、家庭を築いた。そして10年後・・・」となったとき、2人はほんとうに夫婦と言える関係が築いているか?遅かれ早かれ、真に問われるときが訪れる。

それは問いである。「あなたたち2人は夫婦として、人生をともに生きていくだけの関係性を築けていますか?」という人生からの問いである。

キーワードは「必然性」

物事は、それが起こる最も自然なタイミングで起こる。

「出会い」はそもそも人知を超えたものである。もちろん、私たちは「意図」を持つことによって誰かと出会うことはできる。

だが、頭で考えた「条件」によって作られた関係は、ビジネス上の関係と似たようなものである。すなわちそれは、人生を通じた関係とは、別の関係のように思える。

ほんとうに大切な出会いは、一瞬たりとも早すぎず、そして遅すぎず、訪れる。ある人にとってその出会いは10代だが、ある人にとっては60代に訪れる。すなわち、それがいつ訪れるのか?一般論では語れない。

だがその出会いが訪れたときは疑いなしに、「この出会いはきっと、私の人生において意味がある。この人とともに生きていくことにきっと、意味がある」と感じることができる。

だからこそ、である。結婚を焦り、悩み、頭で冷静に考え、条件にこだわるのは確かに個人のチョイスかもしれない。だが人生には条件よりも、大切なことがあるのではないだろうか。

結婚とは現実である。現実であるがゆえに日々、良いことだけでなく、悪いこともすべて、相手と共有することになる。だからこそ重視すべきは「私はこの人とともに生きていくことになっていたのでは?」という必然的な感覚である。

「本物の夫婦」には、損か得ではなく、「二人の間に結びつくもの」があるという。それは、心と心がつながる感覚であり、「人生をともに歩むことへの確固たる感覚」であるという。

それは、「私はこの人といっしょに人生を紡ぎあげていくことになっていたのだ」(諸富祥彦、『あなたのその苦しみには意味がある』より)という感覚である。

人生は確かに、必要なタイミングで、必要な出会いが用意される。頭で考え、合理的な方法で相手を見つけることは、必ずしも「正解」とは言えないのである。

最後に

条件で相手を見つけること。それは本質的にビジネス行為と同じであり、条件はいわゆる「取引要項」である。

確かに「無計画」の結婚は前途多難であり、問題があるかもしれない。だがそれと同じく「計算重視」の結婚もまた、それはそれでのちに、難しい宿題が用意される。

あなたが悩む気持ちはよく理解できるし、条件を全く考えないこともまた、現実的に難しいことはよくわかる。

その上で、である。あなたはどう感じているだろうか?その人に対して少しでも、「人生を一緒に紡ぎあげていくことになっている」という感覚はあるだろうか?諸条件は一旦横において、あなた自身の正直な心の声に、耳を傾けてみてはいかがだろうか?

あなたはきっと、さみしい人生ではなく、「つながり」が感じられる人生を望んでいると思えるから。

参考文献

『あなたのその苦しみには意味がある』