体を壊すような生活はそもそもが間違っている話

健康な男

ある日のこと。

朝起きると、肩に激しい凝りが。右腕を上げると激しく痛む。体が不自由なまま、仕事に出かける。朝電車に乗り、3つ電車を乗り換える。電車の中ではまだ肩が痛み、気分も落ち着かない。

職場につくと、いつも通りに振る舞うが、今ひとつ調子が出ない。体がだるく、仕事への集中力もイマイチ。昼を過ぎると眠くなり、早く家に帰ることばかりを考えてしまう。もう気分は沈み、体調もダメ。

その日は、仕事をさっさと片付け早めに帰宅。すぐに布団に入る。

次の日。朝日が気持よく、1日の始まりは滑らか。気分もよく、仕事もサクサク進む。体調がいいだけで1日の質が大きく変わる

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体調は精神に影響する

健康であること。元気であること。普段は意識しないことですが、健康であることは人生を楽しむ上で欠かせないものだ。

目の前に素晴らしい景色があっても、頭痛がすれば、その景色を楽しむことができない。

肩や足を負傷していれば、思うように動けず、イライラが募る。病気を患っていれば、銀行口座にいくら莫大な富があろうと、心配事は尽きない。

そんな当たり前のことに気がついたのは、29歳になってからである。

当時私は30を目前に人生に迷いだした。そこでフリーから転職活動をした結果、ある仕事を経験することになるのだが、そこの環境が私の「人間観」を一変させた。

その環境を端的に表現すれば「このままでは早死してしまう・・・」と危惧を抱く環境だったわけだが、その職場を辞めてからは、フリーランスとしてキャリアをスタート。

仕事の方が性に合っているらしく、病気なく、毎日元気に過ごせている。

ストレスコントロールが可能な生活をしているせいか、「フレッシュ」な感じがあるそうで、人よりなぜか若く見られるようになってしまった。それで初対面の人から「若造」扱いされるというデメリットを感じている。

体と大事に付き合っていくこと

人生においていかに体が大切か。健康がそもそもの土台であるか。それを実感してからというもの、健康を意識してジム通いやウォーキングを続けている。

体の調子が良ければ、普段の気分も違うので、元気のいいときにこそ、体力アップのための、何かしらの運動をしておくことが大切だと思う。

何より、毎日適度に体を動かしていると、だんだんと気分がよくなり、体も爽快。夜もぐっすり眠れる。1日の終わり、最高のストレス解消法だ。

この習慣が効果的なのかどうかは分からないが、体調の面では、病院に世話になることもなく、日々良好。

大過なく過ごせているが、今更ながら思うのは、健康で体力がなければ人生何も楽しめないということだ。

体力が衰えれば仕事への集中力もなくなり、思うように仕事がはかどらない。体の調子を保ち、健康でいること。そんな「当たり前のこと」があってこそ、人生は楽しめるものだと、つくづく思う。

最後に

私が間違った人生を追い求め、間違った環境で努力を続けていたときは、いつもいつも、嫌な感じ。不安な感じがつきまとって離れなかった。結果、胃に穴が空き、その生活を続けることそれ自体が不可能になった。

しかしそれは正解だった。

間違った生活を続けることをすっぱり諦めて、自分らしい人生を求めた結果、体はエネルギーが満ち溢れ、外見は若返り、初対面の人から「明るいですね」と言われるほど、「キャラ」が変わった。

このことから分かる事実はただ一つ。結局、体を壊すような生活は、そもそもが間違っている。自分に相応しい生活をすれば、自然に人生は満たされて、豊かになる。

だから良くも悪くも無理はNG。体の声に耳をすませ、無理のない暮らしをしよう。人生はそれが一番、自然なことなのだから。