世の中は激しく動きつつある。
この大きな流れの中で、あなたは自分という人間の存在と、これからのことを考えざるを得ない日々を送っているかもしれないが大丈夫。道は必ずある。
これから先、人生の根本からすべてをゼロリセットで考え直さなければいけない状況がやって来るかもしれない。
しかしそれは長い目で見れば不幸ではない。あなたが今後、より良い未来を実現するための、破壊と再生の過程である。
大切なのは、これを機会にあなたがあなた自身への理解を深め、改めて「自分」という可能性を追求することである。このページでは、自分を知る大切さをお伝えする。
はじめに
結局、私たちは自分にしかなれない。
自分を否定し、他の誰かに憧れることはできる。他の誰かになろうとすることはできる。しかし、生まれ。育ち。在り方。存在。すべてにおいて、あなたはこの世に一人だけの存在である。
だからあなたが「私なんて・・・」と自分を過小評価してしまうことは、そのあなたという人間が持つ唯一無二の可能性を潰してしまう有害な考え方である、ということを真っ先に指摘しておきたい。
もちろん、それはいわゆる万能感を刺激することでもないし、他者を下に見てこき下ろすことでもない。いや、自分を大切にすることはむしろ、他者を尊重し、共存するために必要なことである。
なぜなら、自分を受け入れることができるからこそ、他者も受け入れることができる。他者に対して排他的、攻撃的な人は、本質的には自分自身を人生から排斥している人々である。
なぜ「あなた」は「あなた」なのか?
あなたは不思議に思ったことはないだろうか?
なぜあなたはその親のもとに生まれ、その地域で育ち、今こうしてそこにいるのか?なぜあなたは今のあなたになったのか?
別に私はここであなたに「運命がどうだ」など、スピリチャル的な話をしたいわけではない。
運命があろうがなかろうが、大切なのは、あなたが今日まで生きてきた結果、なぜあなたはあなたなのか?生きていく上で本質的な問いを、一度時間をかけて考える時間を持ちましょう、と提案したいのである。
あなたの今までの人生で、「あなたらしい」何かがあるだろうか?もしそこに自分らしさがないなら、その理由はなぜだろう?
「すべて」がはじまる場所
私たちは、「自分」という存在を認識しつつも、他人や世の中、様々なものに流されて生きていく。
世の中という場所はある意味とても残酷で、自分の頭で考えようとしない人にとってはとても厳しい場所であると言える。
「なぜ?」を考えることなしに、権威者や有名な人が垂れ流す言葉をそのまま受け入れていれば、待っているのは誇り高く安心できる未来ではなく、第三者の言動に運命を翻弄される流民的な人生である。
そこから脱して、今後10年20年の時間の経過ののち、「これが私の人生です」と心からの満足感を感じるためには、まず自分で考えることが大切である。
そのためには、自分について知る必要がある。自分とは何者で、この世で生きていくためにどのような可能性があるのか?どうなれば自分にとって最善の人生になるのか?
すべては「自分」を発端にして、答えを見つけていくのである。
最後に
日々時間を刻々と過ぎていく。
自分を知れば、自分ではなく他の誰かになろうとして、人生の貴重な時間をムダにすることはない。そして、本当の意味で自分をとことん追いかけていけば、結果として他人の人生も尊重することができる。
なぜなら、自分を受け入れることができる余裕があるからこそ、他者を受け入れることができるのである。自分を嫌う人は極めて他者に対して攻撃的である。
だから人生におけるすべてのことは、自分を起点に始まるのである。
自分が何者で、その人生で何ができ、何ができないか。何をすれば満足で、何をすれば不幸なのか。他人や社会の基準ではなく、本当はどうなのか。何を感じているのか。これからどこへ向かいたいのか。
自分を知ることから、すべては始まるのである。
あなたのなかに必ずある。これからあなたを生かす道が。そして、あなたが他人と自分を比べず、「私は私でこれでいい」という道が。