【夢実現】叶えたいことがあるならばそれを意識しすぎない。そうすることで

足元から見える希望

「私は絶対、◯◯を実現します!必ず△△を手に入れます!」

人生の皮肉だが、そんな気合と熱意が入っているときほど、それらが現実化することはない。いくら努力しても。やれることを必死に頑張っても。現実はまるで変わらないように見える。

ところが、である。「絶対◯◯する!」という強すぎる情熱を忘れかけ、「まぁ、それが実現されなくても人生なんとかなるだろう」と脱力していると、なぜかそれは実現する。人生には、こんな不思議な現実がある。

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はじめに

「絶対◯◯する!」と気合と意欲に満ちたときほどそれが叶うことはない。だがその願望をある意味で放棄したとき、その願望は実現される。

自分自身が叶えたいことや実現したいことを明確に意識することに意味はあるが、「絶対◯◯する!」と強いこだわりを懐き続けることは、かえってその実現を阻害する。

むしろ、「絶対◯◯しなくてもいい」くらいのほうが、「結果として」叶う事柄は自分にとって良い結果につながる。考え方はシンプルである。

もしそれが叶うならそれはそうなるのが正解。もしそれが叶っていないのであれば、それは失敗とは限らない。もしかしたら、(理由は分からないけれど)今はそれが叶わっていないことが自分にとって良いことなのかもしれない。

計画は計画通りに達成されるか?

人生には一見無駄のように思えて、遠回りのように思えて、後から振り返れば「(結果的に)むしろこうなって良かったな」ということが起こる。

「◯◯◯◯年△△月までにXXを達成する」

目標達成の思考としては、達成したいこと及び達成の期限を明確化し、そこへ効果的に進んでいくことが正しいと考えがちだが、いざ理屈通りに行動したところで現実は別の展開を見せる。

実際のところ、目標に到達するために最も効果的な方法を選択し計画的に行動を積み重ねる。そして「私は必ず◯◯します!」と強く願う。にもかかわらず「どうして目標に到達できないのですか?」という結果も起こりうる。それには理由がある。

「絶対◯◯を実現したい!」の後ろ側にあるもの

「強く願う」ということの本質。それは「私はそれができないかもしれない」という不安である。

私たちはそれができるかどうか、自信がないからこそその実現を願ってしまう。それが当然のようにできることであるならば、強く願ったりはしない。だからこそ、強く願うことほどなかなか実現しない。

自分自身の行動の背景にある感情を知ることはとても重要である。恐れや不安といった感情がその行動の背景にあるならば、自分の意志とは無関係に現実は期待を裏切り続ける。

その一方、理由は分からないけれどワクワクする予感や「楽しい!」という感情などの自分の気持ちを尊重した行動であるならば、「私は頑張っています!」という気持ちを持つことなしに、なぜかスムーズに物事が進んでいく。

もしそれが叶わないなら

そしてもう一つ、決定的に重要なポイントがある。それは、望みを実現することに成功しなかったとしても人生はそれで問題ない、ということである。

「◯◯を実現したい!」という思いは、現時点で自分自身が考えたことである。自分の意識ではそれが叶うことが人生の繁栄や幸せにつながると考えるかもしれない。だが、必ずしもそれは「自分がそのときそう考えた」という話である。

人生における本当に価値があることはすべて自分の想像を超えた出来事である。仕事、お金、人間関係。願望はいろいろあるだろうが、考えたことは考えたこと。「それを実現できなければ人生は失敗です」ということにはならない。

だからこそ願いがかりに叶わなかったとしても、それはその時点の話(その先で叶う可能性がある)かもしれないし、むしろ叶わなかったことによってそれが自分の人生にプラスに左右する可能性もある。

実際人生を長いスパンで捉えるならば、全ては「塞翁が馬」。「あのとき、あれがうまくいかなったことが実は幸いでした」という結果があることを、知っておく価値がある。

最後に

自分が本当にしたいこと。できること。それは自分自身が知っている。そして自分にとって本当に最上の道のりも、実は自分の深い部分が既に知っている。

何かの影響で目標を持つに至ったとしても、それが本当に自分がしたいことなのか。そもそもそれをする価値があるのか。それを判断するのは自分自身である。

「失敗は許されない。是が非でも必ず実現します!」というような、強い気持ちを持ったことが、本当に自分がしたいこととは限らない。そもそも、それがうまくいくことが自分の人生において良いことがどうなのかも分からない。

私たちは自分の願望ではなく、自分以外の何かに知らず知らず、良きにしろ悪きにしろ影響を受けてしまうものだからである。

いずれにせよ重要なことはシンプルである。気合が入り過ぎている願望は、本当に自分が望むことではないかもしれない。願望の実現に気合を入れるのも良いが、強く願いすぎないこと。それが実現できないことを致命的な失敗であると勘違いしないことが重要である。

その上で自分自身の気持ちを大切にする。自然に自分自身の興味が向くこと、したいと思うことに取り組む。そのほうが(結果的に、長い目で見れば)幸せな人生に通じる可能性が高いだろう。