「自分はダメだ」と感じてもいい。その自分を「武器」に変える方法があるから

浜辺の美女

人なみでない部分を持つということは、すばらしいことなのである。そのことが、ものを考えるバネになる。

司馬遼太郎(『十六の話』より)

人とは違う自分の個性や、「自分はダメだ…」という劣等感。 モテない、背が低い、友達がいない、お金がない、上手く喋れない。

このような、人との比較において「欠けている」と思われることや、密かに抱く劣等感が、実は人生をプラスに変える力を秘めている。

そう、マイナスはマイナスでは終わらない。それは可能性の原石である。この記事で、その気づきをお届けする。

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「自分はダメ」でもそれでいい

「光あるところ影がある」と、かつての偉大な人は言ったが、全くそのとおりだ。

自分の劣等感を作品に昇華させて成功した芸術家、容姿に劣等感を抱くことで女優となり成功した話など、劣等感が成功につながった例は枚挙にいとまがない。

自分の裏の部分、人に見られたくないところにこそ、その人の魅力があって、自分のダメな部分で人が救われることも少なくない。

「魔物たちが巣食う暗い洞窟の奥深く、素晴らしい宝物がある」というファンタジー物語の設定は、影の中に光があるという人間の姿そのものだ。

だからこそ、あなたが嫌いな自分、認められない自分を持っているとしたら、そこから信じられない宝が見つかる可能性があることを、知っておいて損はない。

長所と短所は、つながっている!

短所は長所。長所は短所。物事には必ず二面性がある。

あなたが「自分の○○が嫌い!」と自己嫌悪に悩んでいたとしても、その「嫌い!」と思う部分が実は、あなたを素晴らしく魅力的な人にするための、長所になる可能性を秘めている。

実際、世の中には、自分の劣等感を解決するために事業を興して成功している人が、信じられないくらい多い。

あなたもネットで調べれば、「私は○○に悩んでいました。その悩みを克服した結果…」という成功談を、至るところで確認することができるはずだ。

これは綺麗事でも何でもない。実際にあなたが劣等感を持っていること、悩んできたこと、そこに光を当てることでそれは素晴らしい宝物に変わるのである。

だから、完璧でなくてもいい

「完璧な自分」

「望むままの自分」

それこそが、あるべき自分の「完成形」であると、私たちは錯覚する。だが実際のところ、私たち自身を救い、活かすのは、「完璧でない」「何かが劣っている」「欠けている」自分なのである。

それは確かに、いびつかもしれない。だが、そこにこそ「自分らしさ」がある。自分のマイナス(と思えるもの)を消そうとすることで、私たちは自分らしさをも殺してしまう。それは、「角を矯めて牛を殺す」という言葉のとおりだ。

大切なのは、完璧になることではない。自分のマイナスがプラスに変わる、自分自身の「在り方」を模索することだ。それは、自分を変えなくとも、十分に可能なことなのである。

むしろ、「自分は自分」と開き直る。「良い面も悪い面もあるけれど、それはそれでいい」と受け止めることで、ようやく「人なみでない部分を持つということは、すばらしいこと」という真実に気づくのだ。

最後に

嫌いな自分があれば、なぜ嫌いなのか。

認められない自分がいれば、なぜ認められないのか。そこに「良い」「悪い」の判断を挟む必要はない。なぜなら、あなたがそれに悩むことそれ自体に、意味があるからである。

だから「自分はダメだ」と劣等感を抱えても構わない。

否定する必要もない。それはあなたが輝くために必要だからこそ、与えられている。ただその事実に気づくことが、何より大切なのである。

だからあなたは自分を変える必要はない。あなたはあなたのままで、それでいいのである。