あなたの「思い込み」が、出会う人を決めているかもしれない話

コミュニケーション中

忘れてはならないことは、私たちが敵と思っている相手は、私たち自らが敵につくりあげたものだということです。

親友とか敵というものも、私たち自身の心の反映にほかなりません。相手も、私たち自身が心の中に描いている姿に反応して、私たちを好いたりきらったりしているのです。

C・M・ブリストル(『新訳 信念の魔術』より)

人生の大きな悩みごとの一つ。それが人間関係である。

私たちの人生はつねに、誰かとつながりながら形づくられていく。そのなかには「良い」人たちもいれば、「悪い」と感じる人たちも現れる。

そして私たちは、「あの人は信頼できる」「あの人は危険だ」とラベルを貼り、人間関係を整理する。それは、日々を安全に、そして快適に過ごすための工夫なのかもしれない。

だが、「信頼できる」と思っている人は、本当に信頼に値する人なのだろうか。「危険だ」と思っている人は、本当に交際注意な危険人物なのだろうか。

そこで意識しておきたいのが、冒頭に引用したC・M・ブリストルの言葉である。

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はじめに

私たちの思い次第で、人を味方にすることも、敵にすることもできる。なぜなら、私たちの内面の思いが、人を通じて具現化するからだと、ブリストルは言う。

たとえば、「世界は敵だ。人は私を傷つけるだけ」とあなたが信じているとき、実際、あなたの周りの人は危険で、理不尽で、乱暴で、陰湿な一面だけを見せるかもしれない。

その一方、「私が付き合う人はみないい人ばかりだ」とあなたが気づき始めたとき、「嫌なやつ」が「頼りになる人」に変わったり、なぜかは知らないが、道行く人にも自然に親切にされ始める。

たとえば、あなたが車を運転しているとき、道を譲ってくれるドライバーと遭遇しやすくなる。「あおり運転」をする危険なドライバーからも、なぜか遠ざかる。

これは不思議な現象のように思えるが、しばしば日常で起こる出来事である。

なぜ、このようなことが起こるのか。それは確かに、私たちの内面の反映なのかもしれない。私たちがそう思い込むからこそ、相手のその一面を引き出してしまうのだ。

だからこそ、人間関係はしばしば「鏡」にたとえられる。

敵も味方も自分が作る理由

敵も味方も「自分の心がつくりだす存在」であるのは、私たちの心が相手に投影されているからだ。

この視点に加えて、私が思うことがある。それは、ある思い込みを持つことによって、私たち自身がそれに応じた人物や環境を引き寄せているということである。

「周りがいい人ばかり」と思い込んでいれば、無意識のうちに自ら「いい人」の方へ近づき、そうでない人からは遠ざかるように行動する。それはほとんど自覚がないが、内面の思い込みが、そうした行動へ私たちの意識を誘導するのである。

こうした事例は枚挙にいとまがない。「私は絶対独立する」と心の中で思っている人は、いくら会社員として優秀であっても、「本人にはわからないまま」会社を辞めたり、「独立する」という行動を起こしてしまう。

人間関係も同じである。その人に対する内面の思い込みが、その人を通じて引き出される。いや、見せられるのは、やはり私たちの思いそれ自体が現実に反映していくからなのだろう。

現実を作る真の原因は「思い」?

いい人はいい人だし、悪い人は悪い人だ。

だが、「私は安全で安心な人間関係に恵まれる」と思い込むことで、人間関係の模様はなぜか変わり始める。安全でない関係は、なぜか縁が途切れたり、理屈はわからないまま関係性が変化していく。

こうした事例を踏まえると、確かにブリストルが言うように、人間関係は「鏡」であり、自分の意識を投影する存在であると同時に、私たちの思い込みそれ自体が、それと同じ現実へと私たちをいざなっているのではないだろうか。

つまり、私たちの内面の思いは、その一面を相手から引き出す働きを持つと同時に、私たち自身がその思いを現実で証明するかのような行動を、無意識に取っているのではないか。

「人間関係で悩まない」と心から決めたとき、人間関係は変わり始める。いい人や付き合いやすい人が現れやすくなる。「私には私の価値がある」と確信したとき、周りにはあなたを尊重する人が現れやすくなる。

それは、相手にそうした思いを投影しているだけでなく、自らその思いを実現するための相手を、そして環境を無意識に選び、引き寄せているからではないか。そう思うのだ。

最後に

「人間関係とは鏡である」と別の記事で書いたが、改めてブリストルの言葉を読むと、そこには「投影」だけでは説明がつかない、無意識的な何かが隠れているように思える。

いずれにせよ、私たちの心の見方を変えれば、確かにいい人も悪い人も、違う顔を見せ始めることがある。この意味で、人間関係を変える第一歩は、相手を変えるのではなく、自分の「意識」を変えることであるということは、間違いない。

きっと私たちがその内面に抱く思いというのは、想像以上の力を秘めているのだろう。