人生は長距離マラソンである。
最後の最後に「自分の人生はこれで良かった」と心から納得できれば、途中の経過がどうであれ、その人生は成功だったと言える。
だからこそ大切なのは、人生を長い目で捉えることだ。目の前の状況がどうであっても、「その先」を見据え続けることが必要である。
はじめに
人生にはさまざまなパターンがあるが、「これは最悪の人生だ」と言える典型は、早咲きの人生である。
人生の前半に良いことが次々と起こり、20代あたりまでは幸せな出来事の連続。しかし、30代以降は右肩下がりで、徐々に下り坂となる。
その後、人生が再び上向く兆しも見えないまま年を重ね、やがて老後を迎える。だからこそ、20代を終えた時点でまったく挫折を経験していない人は注意が必要である。
やることなすことうまくいき、「自分の人生は最強にツイている」と思っているような人ほど、落とし穴に気をつけたい。
人生は帳尻が合うようになっている
一方でその逆に、人生で順調に失敗と成功を繰り返し、山あり谷ありの経験を重ねている人は、むしろ順調であると言える。
さらに言えば、もっとツイているのは、若いころに失敗続きの人生を送っている人である。
やることなすこと不運に見舞われるような人ほど、長い人生のトータルで見れば、むしろ安心できる。年を重ねるごとに、人生が安定し、落ち着いていく傾向がある。
なぜなら、人生の終わりには、プラスもマイナスもすべての出来事の帳尻が合うようにできているからだ。

裕福な家庭に生まれ、苦労知らずで育った人。容姿や才能に恵まれた、いわゆる「初期条件が良すぎた人」。
そうした人々が、人生の中盤から後半にかけて失速していくのも、まさにその帳尻合わせの一環なのである。
先に苦労を買っておく
この意味において、若いうちから失敗続き、挫折続きの人生を歩んでいる人は、実はツイていると言える。
人生の前半で多くの苦労を経験していれば、年を重ねるごとに、人生は上向いていく。まさに強運の持ち主である。つまり、1年ごとに運は徐々に好転していく。それこそが、最高にツイている人生である。
もちろん、逆境が続いた結果として、人格がひねくれ、「自分の人生はもう何をやってもダメだ」と自暴自棄になってしまえば、すべては水の泡だ。
しかし、「自分の未来はきっとなんとかなる」「人生は最終的に帳尻が合う」ということを忘れなければ、すべての不運はやがて幸運へとつながっていく。
「遅咲き」という人生の成功者
人生において、どのような時代であっても、最後に勝つのは遅咲きの人である。
その事実を確かめたければ、徳川家康やリンカーンといった歴史上の偉人たちの生き様を見ればよい。50歳、なかには60歳を過ぎてから人生を逆転させた、遅咲きの成功者の姿を確認できるはずである。
彼らの人生の前半は、まさに苦難の連続である。「なぜこれほどまでに不幸が続くのか」と嘆かざるを得ないような境遇にあった人も少なくない。
しかし、長い人生を振り返れば、そうした不幸があったからこそ、最後の最後で逆転するための理由や土台が築かれていたことに気づくのである。
まさに「終わりよければすべてよし」。失意のまま人生を終えないというだけでも、実は最高にツイているのだ。
最後に
人生において、早いうちに成功することはむしろ危険である。
良いことばかりが続く人生は、不運とも言える。だからこそ、若いうちに苦労が重なることは、不運ではなく幸運である。
「どうして自分の人生はこんなにも最低なんだ?」
そう嘆きたくなったときは、ぜひこのことを思い出してほしい。人生には一定のパターンがある。そして、どんな人生においても、すべては最終的に帳尻が合うようにできている。
どれほど苦難が続こうとも、いまこの瞬間を耐えて乗り越えていけば、その報いを受ける日が必ず訪れる。
たとえ人生が失敗続きでも、不運が重なっていても、決してあきらめる必要はない。人生は、「トータル」で考えることが何よりも大切である。
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