私たちはいともかんたんにだまされる。
「何かヘンだぞ?」と感じていても、自分の感覚を信じることができずに、直感を「気のせい」にしてしまう。しかし本当は知っている。
「おかしい」と感じたことはやはり何かがおかしいのである。もしそれを確信する証拠が身近になかったとしても、ひそかに疑い続けることが大切である。
はじめに
私たちは社会的な動物である。そのため、他者からの影響を避けることはできない。
あなたにはあなたの意見がある。一方で、他者には他者の意見があるのだが、問題はあなたが間違えることもあるし、他者が間違えている場合もある。
さらに言えば、他者があなたを意図的に「事実誤認」させようとすることもある。
この点、私たちは誰の意見を聞かないか、そして誰の意見を聞かないか。それを慎重に吟味する必要がある。なぜなら、それによってあなた自身の未来が影響を受けるからである。
違和感を感じる理由
例えばあなたにはこんな経験はないだろうか?
あなたはある情報を耳にする。そして表面上は「そうなんですね」と受け入れるが、おなかのあたりでなぜか違和感がある。
そこで詳しく情報を調べていくと、どうやら表で言われていることと実際の現実が全く違う可能性があることを理解する。
このようなことは日常茶飯事であり、特にその傾向は現代の情報化社会において、顕著である。
だから情報を情報として得ることは大切だが、あなた自身が感じた違和感を無視してはいけない。「なんとなくヘンだな」と感じたら、疑うことが大切である。
もちろん当メディアも含めてである。大切なのは、あなた自身の感覚を大切にすることである。
情報は必ず「意図」を持つ!
世の中に出る情報は必ず誰かの意図を含んでいる。
「今不動産が儲かっています」という情報が不動産関連のビジネスをしている人々やそのスポンサーから出るように。「○○は悪いやつです」という人が非難されている人の対立者やその応援者からであるように。
出まわる情報は、その情報が出ることによって、何らかの都合が良い人たちのによって作られている。だから、出回る情報をなんでもかんでもほいほい信じていれば、あなたはかんたんにそのウソ情報にだまされる。
それにだまされないためには、情報をうのみにせず、白でも黒でもない立場をとり、一旦情報を「保留」することである。
忘れてはいけない。信用できる人がそれを言っていても。有名な会社がそれを言っていても。それが真実とは限らないのだ!
おかしいことはおかしい
日本には「道理」という言葉がある。
不正蓄財して暴利を貪る人々や、不公正な態度を取る人に怒りを感じたり、競争でズルをする人を侮蔑するように、それはいわば、日本人として、いや人として持っている一般的な感覚である。
あなたが道理に反した出来事を目の当たりにしたとき、あなたはきっと「おかしい」という感覚を、無条件で感じるだろう。
おかしいと感じたとき、あなたはその感覚を見なかったことにしてはいけない。それはあなたがおかしいと感じるだけの理由が、必ずある。
「あの人が言っていることはヘンだ。どこかひっかかる」というとき、表面上は別に疑う態度を見せる必要はないが、裏付けを取ることである。
まとめ
本当の意味で、最後の最後で信頼できるソースとなるものは、自分自身の直感である。なぜならそれはあなた自身の生物的な感覚がベースになっているものだからである。
いくら嘘つきがあなたをだまそうとしたところで、あなたの防衛システムはそのウソに違和感を検知する。そのサインが直感である。「おかしい」という感覚である。
思考が直感をごまかそうとするが、最初に感じた直感の方が信頼性が高い。真実を見抜くのに理屈はいらない。「おかしいことはおかしい」のだから。
最後に
私たちは日々、様々な情報に触れて生活している。そして、意図を持つ情報によって流されていく。問題は「どこに流されていくのか?」ということである。
あなたは自分の意思で自分の道を進めればいい。しかし、誰かに翻弄される人生を望んではいないだろう。だまされる人生を生きたいとは思わないだろう。
だから自分の感覚を信じることである。直感を無視しないことである。「おかしいことはおかしい」のだから。