「成功」とはプロセスとして、そのときの一つの結果にすぎない。「成功」かどうかは自分の死の瞬間に自分で決めるものだ。それまでは全部途中経過だ。
貧しくても惨めに見えてもいい。自分が最期の瞬間、微かにでも笑えるならその人の人生は「成功」なのだ。
見城徹
自分の人生が「成功」したのか、それとも「失敗」したのか。それは最期の最期にならないと、絶対に分からない。
なぜなら人生一寸先は闇。今「成功」していても、その成功が明日も続かどうかは、誰にも分からないからだ。
たとえばあなたは想像できるだろうか?
今とてつもなく人生が成功している。人にもお金にも恵まれていて幸せの絶頂になる。しかしその次の瞬間、すべてを失い、どん底へと転落していく未来があることを。
実際、人生にはこんな大どんでん返しが何度もやって来る。逆に考えると、今最悪最低の不幸であっても、「逆転」するチャンスがやって来ることを意味する。
だから、「成功」とか「失敗」とか、そんなことを考える意味そのものが、実はあまりない。
つまり生きているうちに起こることはすべて途中経過。もし自分の人生が「成功」なのか、それとも「失敗」なのか。そのけじめをつけたいなら、人生の最期で、その判断をすればいい。
だから生きているうちは「成功」を意識する必要はない。ましてや、失敗を悔やむ必要はない。結局人生、最期に笑えれば、それでいいのだから。
出典
『読書という荒野』