長い時間をかけて、コツコツ一歩ずつ歩むことができる人だけが、やがてとてつもない境地にたどり着くことができるのです。
市川雄一郎
年齢を重ねれば重ねるほど、「千里の道も一歩から」という言葉の重みを思い知らされる。
たしかに現実では、ほんの数歩踏み出しただけで期待値を大幅に大きく超えるような、予想以上の「成功」が訪れることもあることは否定できない事実である。
だが短期間で、しかもそれが大きな結果となった物事ほど長続きはしない。それは長きに渡って築かれた確固たる土台を持たないがゆえに、崩れるときは一瞬である。
結局のところ、人生における本質的な何か、太い幹となる何かを育てていこうとするならば、「千里の道も一歩から」。コツコツと歩みを積み上げていくことこそが王道なのだと、つくづく感じる。
はじめに
今すぐ短期間で目に見える変化を起こす。苦しい状況から今すぐ抜け出し幸せになる。
「即効性」を求めるがちなのは現代あるあるの風潮だが、最速で結果が出ること。無駄なく物事が上手くいくとは限らないし、何もかもが完璧でムダ一つない、最短最速の歩みが長い人生の歩みにおいて幸せな結果を招くとは限らない。
私たちはこの世界に生まれ落ち、すぐに大人になるわけではない。必要な時間と歳月をかけ、1年1年、年を重ねていく。知識を学び、様々な経験を積むことで、人として成長し、成熟していく。
小さな子どもに今すぐ大人になることが不可能であるのと同じく、物事には必要なだけ時間がかかる。だからこそ必要なのだろう。「時を待つ」という忍耐が。
急激な変化がもたらすもの
ムダは悪で効率は正義。「時間は限られている」という現実的な意味で、目的地へと到達するルートを歩む上で、そこに効率を求めることは自然な考え方かもしれない。
だがムダが本当にムダなのか。その適切な評価は時間が必要だ。
つねに最短最速を目指すのではなく、ときに必要なだけ時間をかけ、「非効率」と思えるような方法をあえて選ぶ。そして愚直にそれを行う。こうした「非効率」なことこそが長い目で見たとき、「総合的にベストな選択だった」となる場合もある。
なぜなら急激な成長、急激な変化は歪な何かを生じさせる。短期間であまりに手にしたものが大きかったとき。短期間であまりに身の回りが変わってしまったとき。それは、私たちの何かを狂わせる。
だからこそ急がない。ムダがあっても許容する。最短最速で変化を起こさない。「漸次」を意識しておくことは、短期的な成功ではなく、長期的な成功を追求する上で重要なカギである。
時に歩みを止める。だからこそ
目的地を目指して歩み続ける限り、いつか私たちはそこへたどり着くことができる。その途中では先へ進めなくなってしまったり、道を間違えて後戻りしてしまうような「ムダ」な出来事も起こりうる。
だが、そうした「ムダ」な出来事を通じて私たちは人生をただまっすぐ最短距離で進むのではなく、旅の途中で経験する出来事それ自体から学び、成長する。
だからこそ人生は最短効率、一直線で目的地へ進むことが、長い目で見れば必ずしも「正しい」とは限らない。
そしてある作家が言ったように、「神さまは私たちの悩みのなかに宝物を包む」。思い通りに物事が進まないこと。問題に直面し足止めを食らうこと。遠回りをしてしまうこと。それらは「ムダ」かもしれないが、無意味ではない。
最後に
必要なことは必要なだけ時間がかかる。頭で考えたことは頭で考えたこと。人生を無駄なく効率的に生きる必要はないし、無駄なく効率的にほしいものを手に入れ、現実を激変させていくのはあまりにドラマチックすぎる。
私たちは生身の人間であり、成長もあれば停滞もある。ゆえに、「完璧であろう、無駄なくあろう」としたところでそれは不自然である。
時間は刻々と過ぎていく。だが歩みを急ぎすぎる必要はない。目的地さえ分かっていれば、ゆっくりでも着実にそこへ、進んで行けばいい。途中で足止めを食らったとしても、それもドラマの一つ。必要な出来事なのである。
出典
『投資で利益を出している人たちが大事にしている45の教え』