「天職」とは、自分にピッタリの仕事という意味ではない。「天職」とは、天に呼ばれた仕事のことを言うんだよ。
斎藤一人
自分探しの一貫として真剣に考えたいのが仕事選び。
「どんな仕事をするのか?」という問題はズバリ、「自分がどんな人生を送るのか?」という問題に直結している。
不幸な仕事をすれば人生そのものが不幸になるし、幸せな仕事をすれば年年歳歳、幸せな人生を歩むことができる。
それは、具体的な証拠を提示しなくても、朝の通勤電車で、死んだ魚のような目をしている人を見れば、直感に事実を理解することができる。
「天職」は見つけるものではない
だからこそ仕事選びは恋人選びと並んで、特に重要に考えたいことなのだが、ときに、自分がしたいことではない別の仕事につき、予想外の人生を送る場合がある。
それがいわゆるコーリング。「天職」に呼ばれたときである。
「天職」とは、自分に相応しい、ピッタリの仕事と考えられがちだが、それは「適職」の話である。
「天職」は自分がその仕事をするように運命から求められた仕事である。
超高収入の仕事をしていた男性が突如退職、伝統工芸の職人になるなど、新天地で以前とは全く別の人生を始めた人の話があるが、それはまさに、「天職」に呼ばれた結果である。
自分がこの世で成すべき仕事
「天職」はもしかしたら、自分が得意な仕事。簡単にできてかつ儲かる仕事ではないかもしれない。
しかしその仕事をすることで、自分が自分としてこの世に存在している意義を実感することができる。魂が満たされる感覚がある。
それこそがまさに、「天職」の特徴だ。それは自分が探して見つけることができるものではない。
ある日突然、仕事から呼ばれるものである。
だから今の「適職」で幸せに生きていくことができているならむしろ、「天職」など見つからない方が、無難に、安全に生きていくことができるかもしれない。
「天職」に呼ばれたら
しかし、いくらどう言い繕っても、世の中には決してウソをつけない相手が一人だけいる。
それは他ならぬ自分自身。自分の魂の呼びかけに、抗うことはできない。
「天職」に呼ばれたとき、それはすぐに分かる。吸い寄せられてしまうように、そちらへ向かってしまう。
その結果待っているのは、自分が予想していなかった想定外の人生。自分が得意なことでも好きなことでもなくて、様々な苦悩。困難が待ち受けているかもしれない。
しかしその仕事と正面から向き合い、せっせと自分ができることを続けていく。すると、やがて分かる。
そう、「自分はこの仕事をするために、この世に生を受けたのだ」と。
出典
『斎藤一人 一日一語』