自分を受け入れることが、自分を救う足がかりとなる。それがどんな過去だったとしてもな。
シドルファス・テラモーン
「完璧な自分」になることはできない。ゆえに「完璧な人生」も存在しえない。
私たちはつまずき、転び、そして立ち上がり、進んでいく。失敗してもそれでいい。幸せでない自分、思ったとおりの現実とは違う自分でも大丈夫。自分を自分として受け入れること。
それはまさに自分を救う「始まり」である。
はじめに
私たちはそれぞれの人生で、自分自身が許容できるものを受け取ることができる。すなわち、どれだけ自分を認め、受け入れることができるかによって、現実世界で見える景色、起こる出来事が変わってくる。
私たちが他人を認められないとき決して自分を認めることができないのは決して偶然ではない。他者否定の根幹には自己否定があり、世の中と折り合いをつけられないのは、自分自身と折り合いをつけることができないからである。
だが自分を自分としてOKを出せるようになった瞬間を境に現実は少しずつ変わり始める。なぜか周囲に親切な人、協力的な人が増えていく。そして「もっともっと」ではなく「これでいい」という「満たされた感覚」が、胸の中心から自然と湧き出す。
「自分が変われば世界が変わる」という言葉は文字通りの真実である。
すべての変化は自分から
何事もすべては自分から。
自分を救えない人は他の人を救うことができないが、自分を救うことができる人は他の人を救うことができる。そして自分を救うカギとなるのが自己受容である。それは「現実がどうであれ自分は自分としてOKです」という感覚である。
現実の自分は「こうありたい」「こうあって欲しい」という自分とは違うかもしれない。目の前には幸福ではなく困難や挫折があるかもしれない。だがそれらは自分の価値とは関係ない。だから自分は自分で大丈夫。
他者の評価は介在させず、良いときであれ悪いときであれ自分を認め自分自身でOKを出す。自分自身を自ら意味付ける。それはすなわち、自分の人生の在り方を自分自身で決めるという、選択である。
人生が変わる決定的なタイミング
今そこにある道を進む自分自身には何らかの意味がある。それまで自分が歩んできた道には何らかの価値がある。それを信じ、他の人とは違う自分自身を受け入れる。この自覚的な選択こそが「自分を救う足がかり」である。
完璧な自分でなくてもいい。望んだ自分と違う自分でもいい。「◯◯がない」自分でもいい。その事実に気づき、あるがままの自分を認め始めた瞬間、私たちは自らを縛り付ける鎖から解き放たれる。
内側の変化はやがて外側に顕現する。
まず人相、そして雰囲気が変わる。発せられる言動が変わる。言動が変わった結果、外で起こることが変わり始める。私たちの人生が変わる決定的なタイミングというのは、まさに自分自身への「解釈」が変わった瞬間なのである。
最後に
「自分はだめだ」ではなく「自分は自分でいい」。それは許可である。自分が自分自身を救うために与える、許可である。
否定ではなく肯定を自分に与えることによって私たちは自分への解釈が変わる。自分への解釈が変われば人相や雰囲気といった外面的なものだけでなく、心といった内面的なものが変わる。そして他者との関係、世の中との関係が決定的に変わっていく。
物事には手順があるが、自分を軽視して人を大切にすることはできない。自分を認められる人は、他の人を認めることができる。自分をいたわり、認めることによって私たちは最終的に、「利他の精神」を養うことができるのである。
出典
『ファイナルファンタジー16』