「宿命」なるものがあったとしてもそれはそれ。未来は現在より「意思」によって

海と女性

哀れなものじゃ。浮くも沈むも宿命次第。誰も彼も流れにのまれる、小石と変わらぬ。

大蓉院

私たちがこの世に生まれたときから決まっている人生の道。それを「宿命」と呼ぶ。

確かに人生には、そうなるべくしてなったように思える、「宿命」のような出来事が起こる。だが、本当にそうなのだろうか。私たちは、「誰も彼も流れにのまれる、小石と変わらぬ」存在で、自分の生き方を自分自身で選ぶことはできないのだろうか。

そこで意識したい言葉がある。それが「意思」である。

たとえ人生で定めのようなものがあったしても未来はつねに、変わる余地があると信じている。未来とはこれから起こることである。ゆえに未来は必ず、現在より未来を変えうることができると信じる。そのカギこそが、「意思」である。

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はじめに

私たちは今このとき、日々の現実においてつねに「選択」を突きつけられている。それをするかしないか。受け入れられない事柄に対して「ノー」と意思表示するか、納得いかないまま受け入れるか。

小さいことから大きいことまで、様々な選択を突きつけられている。重要なのは、日々の選択のなかで「私は◯◯を選ぶ」という自覚的な意思を持ち、選択を行うことである。

「上司の言うことだから」「医師の推奨だから」「みんなしています、とTVが言っているから」などと思考停止せず、自分自身で考え、そして感じたことをベースとして選択を行う。それによって私たちは自分自身の意思を、これからの未来に反映させることができる。

だが自分自身の意思を放棄し、物事が起こるがままに任せていれば、それから起こることは自分自身ではどうにもならない現実が待ち受けるだけである。それを「宿命」と考えることはたやすい。

そうではなく本当の意味における「宿命」とは、最終的に「人事を尽くした結果受け入れるもの」である。

自分で選び行動する。その結果「そうなってしまった」現実を「是非もなし」と受け入れる。これこそが「宿命」である。すなわち「宿命」とは、私たちに決定事項を一方的に押し付けてくるものではないのである。

「人生は最初から決まっている」と考えることができる一方で

私たちは自分にできることは何もなく、人生はただ最初から決まっているとおり、起こることが順次起こっていくものであると思い込む。だが実際のところ、人生は私たちの想像以上の可塑性を持つ。

確かに人生の一定期間において、私たちは自分自身でどうにもならない要素によって影響を受けてしまう部分は確かにあるだろう。「三つ子の魂百まで」と言われるように、自分自身の先天的な性格や好みといった傾向的な部分はまさにそれである。

だがそれは一部分であり、自分自身によって永久に変えられないものという話ではない。私たちは大人になっても自ら学び、経験し、自分自身を変えていくことはできる。自分自身を変えていく過程を通じて、日々の行動や選択も変わっていく。

私たちにとって自分は自分だが、その自分を通じて選ぶことができる道、人生は、常に変わりうる。私たち自身が「意思」によって道は作られるという事実に目覚め、意思を用いることによって選ぶことができる道は変わる。そして人生も変わる。

「すべては最初から決まっている。ゆえに私たちはそこから逃れることができない、決められた道を進むだけの存在である」という考え方は、私たちを矮小化する恐れがある考え方であることを知っておく必要がある。

「宿命」という言葉は方便ではない

人生が最初から決まっているのであれば、私たちは何も考える必要はない。ただ、起こることを受け止め、受け入れるだけである。だが、それでいいのだろうか。

「どうせ、すべては最初から定まっているのだ」「自分は所詮、決められた道を歩んでいるだけなのだ」と自分で何も考えず、現実を許容する。

それは決して「宿命」ではない。それは選択である。「人生は最初から決まっている。ゆえに私は現実を何一つ変えることができない」と考えた結果を受け入れる、選択である。

「宿命」という言葉はある意味で都合が良い。現実は自分ではどうにもならないとあきらめ、受け入れるための方便として、とても都合がいい。自分自身で現状を変更するための行動をしなくて済む方便として、とても都合がいい。

「宿命」はそのような方便のために使われる言葉ではない。繰り返す。「宿命」とは最終的に、「人事を尽くして天命を待つ」結果訪れる現実を受け止めるために存在する言葉である。

決して私たちの人生の決定権を安易に、誰かに委ねるための言葉ではないのである。

最後に

確かに「宿命」という考え方は興味深い。私たちはこの世界に生まれ落ち、自分という意識を持ち始めたときから、そこには自分自身の意思とは無関係に思える、環境が既に用意されている。

こうした事実を踏まえれば、「私たちがこの世界で何を成し、どのように生きるのかは決まっているのです」という考え方に頷きたくなる瞬間は訪れる。それと同時に、私たちが考え、想い、願うことによって、「宿命」を飛び越えて未来を創出できるという現実があるということもまた、確かである。

そのカギこそが「意思」である。「私は◯◯したい」「△△のような人生を生きたい」と考え、想い、願う、「意思」である。自ら「意思」を持ち、願う人生に意識を向け始める。それによってそれが、この世界で創出される可能性が生じ始めるのである。

出典

『SHOGUN 将軍』、第六話「うたかたの女たち」