自由な人生には支払わなければいけない代償がある話

孤独を抱いて

孤独を愛さない者は、自由をも愛さない者というべきだ。というのは、人は独りでいる間だけ自由だからである。

ショーペンハウアー

自由に生きたい。

心から本当にそう望むならば、これから先、避けられないことが一つだけある。それは、孤独になることを受け入れることである。

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自由が向いていない人

人は独りでいる間にのみ自由であり、誰かと一緒にいるうちは、本当の自由を享受することができない。

連帯感や安心感を得るかわりに、自由自在に生きる自由を失う。だからこそ、自由は常にトレードオフの対象である。

自分独りでいられない。いつも誰かといなければ不安になる。それなら素直に、自由を諦めたほうが、ずっとずっと、幸せに生きられるかもしれない。

自由にも「向き」「不向き」はあるのである。

自由の代償を知る意味

一方、もしあなたが、独りで過ごすことに何のためらいも苦痛もないのであれば。

あなたは根っからの自由人である。そのまま自由な人生を追求するのも一興かもしれない。誰からも構われないかわり、全てにおいて自分を最優先することができる

もし、そんな暮らしに飽きて、寂しさを感じるようになってしまったとき、生き方を変えればいい。

そのさいはきっと自由を失うことになるが、それは大した問題ではない。自由のよさを知ったからこそ、不自由の良さも理解できるはずだから。

最後に

自由であるということは孤独であるということを受け入れることである。自分の思うがままに生きたいなら、その生き方に同伴者を求めるのは贅沢な話である。

誰かと生き、そこで縛られる不自由から解放される代償として、「自分で決められる」という権利が与えられる。この意味で、人によっては自由な人生よりも、不自由な人生の方が幸せかもしれない。

つまるところ、自由も良し悪しがある、という話である。

出典

『幸福について』