「私はみんなに好かれなくても大丈夫」このシンプルな覚悟によって

良い取り引きです

“お客様は神様”という時代ではない、と私は言っているんです。神様の中には、貧乏神や疫病神もいますから。

すべてのお客様に納得していただこうと思えば、相手の言いなりになるしかありません。その結果、貧乏神が巣くい、疫病神に取りつかれ、疲弊した従業員が辞めていったあげく、経営破綻に至る企業もあります。

援川聡

『嫌われる勇気』という本が大ベストセラーとなった。

この本はアドラー心理学をテーマにした本だが、『嫌われる勇気』というその本質的なタイトルは、この世界で「生きにくくならない」ための重要なメッセージである。

なぜならこの世界においては、幸せも不幸も、人を通じて運ばれてくる。そのため、いかに人間関係において必要以上のストレスが生じないように立ち振る舞うことは、私たちのQOLに直結する問題だからである。

そこで重要なのが「私は人から受け入れられなくてもOKである」と自分に許可を与えることである。

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はじめに

まず最初に重要なことは、「私たちはこの世界で出会うすべての人に理解され、受け入れられ、愛される必要はない」という前提を、徹底的に自覚することである。

そもそもそれは現実的に不可能である。不可能を追い求めれば、自分の人生を窮屈にするだけでなく、生きる上で不必要なストレスを増すだけである。なぜなら私たちが変えられるのは自分だけ。あなたも私も、誰かを変えることはできないからである。

人間関係 2対6対2の法則の通り、あなたがいくら努力し、「私は出会う人全員に認められ、受け入れられたいです」と強く希望したところで、一定の割合で必ず、あなたに対して否定的な人が登場する。それはあなただけでなく、みんな同じである。

「○○さんは私のことを理解してくれている」という幻想

私たちは、

「私はあなたのことが嫌いです」

「あなたの考え方はおかしいです」

と考える誰かの意思を否定することができないし、そもそも、他人の意思に強制的に介入する権利など持っていない。そのため、私たちは誰かに理由もなく拒否されること、嫌われることを防ぐ手段はない。

「私は出会うすべての人と分かり合いたいです」という理想を持つことは個人のチョイスだが、日々のストレスを可能な限り抑えてこの世界を生き抜きたいなら。非現実な願望が人生を息苦しくする原因になることを、常日頃から認識しておきたい。

むしろ人との関係においては、「自分のことは分かってもらえないもの」という前提で動く方が安全である。「○○さんは私のことを理解してくれているはず」という相手への間違った期待こそがまさに、その関係に誤解や摩擦を生じさせるからである。

「~であるはずだ」は基本的に幻想

学校の先生に怒られて嫌な気持ちになった。会社の上司が評価してくれなくて仕事に嫌気がさした。付き合っている恋人が何度も約束を守らず相手を信じられなくなった。

こういった出来事はすべて、相手への誤解が原因である。それは、こちらの「根拠のない一方的な期待」と言ってもいい。

私たちが誰かに失望するときはつねに、「○○さんは△△してくれるはずだ」と相手に対し、無意識に期待している。すなわち、

「学校の先生は私のことを理解してくれる(はずだ)」

「会社の上司は私の働きを認め評価してくれる(はずだ)」

「恋人は私を愛しているから私のことを大切に扱ってくれる(はずだ)」

このような一方的かつ個人的な主観を相手に投げかけているのだが、その背後には人間関係への誤解と思い込みが隠れている。それらが人間関係のトラブル、そして悲劇を招く。

逆に言えば、人間関係の普遍的な原則を受け入れることでこの世界はずっと、生きやすくなる。「思い込みによる失望」が起こらないからである。

最後に

あなたを嫌う人。あなたを避ける人。あなたと敵対する人(必ずしもあなたにとっての敵とは限らない)。その原因が必ずしもあなた自身にあるとは限らない。

あなたが、人に嫌われるような原因を作らないように「努力」しても、一定数は必ず、あなたに「No!」を突きつける。それはそういう仕組みであって、あなたも私も、この世界に生きる誰もが背負う、共通の条件である。

結局のところ、生きる限り人との摩擦は避けられない。しかし、可能な限りそれを軽減する努力をすることはできる。この意味で、チョイスはとてもシンプルである。

「仕方がないことは仕方がない」と割り切って人間関係のストレスを自覚的に開放していくか。全員に好かれようと自分を抑えてあちこちに顔を立て、相手の言いなりになりストレスをためるか。「割り切る」ことでこの世界は今よりもっと生きやすくなる。

話はとてもシンプルだ。私たちはこの世界で関わる人みんなに好かれる必要はない。「私はみんなに好かれなくても大丈夫」と気を抜いて生きても、大丈夫なのだ。

出典

『カスハラ モンスター化する「お客様」たち』