人生ことあるごとにつまづいてしまう。これは不幸なことではなくむしろ

人生に疲れて横になる女性

人生では何もかもトントン拍子にいく人と、人生ことあるごとにつまづく人がいる。

一般的には前者の人をツイてる人、幸せな人と考えるかもしれないが、実際はそうとも限らない。

長い人生に置いてはむしろ、つまづき続けた人の方が、最終的には安定した幸せな人生を送ることができる。

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はじめに

なぜ人生がトントン拍子に進むよりも、ことあるごとにつまづいた方がいいのか?

その理由は、人生でつまづくことによって常に自分の足元を見つめ直すチャンスが与えられるからだ。

それによって人生で慢心せず、そのときそのとき、最善を尽くすことができる。

人生である意味最も危険なのは、「もう自分の人生はこれで大丈夫だ」と安心仕切ってしまうことである。

人生がトントン拍子にうまくいき、何もかも順調な日々を送っていれば、「俺はすごい」と満身が芽生え、これからの先の人生さえも慢心してしまう。

しかし、世の中は栄枯盛衰。

どこまで進んでも。どこまで頑張っても。絶対的に安心できる日々はやって来ない。もしそれがやって来るとしたら、まさにそれは、あの世へ行くときくらいである。

この意味で、生きている限り絶対に安定はやって来ない。もし「自分の人生は安定している。もう大丈夫だ」と思えたとしても、それはただの幻想である。

だから人生は何度もつまづいたほうがいい

実際問題、「自分の人生はもう大丈夫だ」と絶頂を迎えたとたん、急激な下降を迎える人は少なくない。

この意味で山高ければ谷深し。人生がトントン拍子で順調過ぎる人ほど、その揺り返しは大きい。

このことを踏まえると、人生失敗ばかり。つまづいてばかりなのは別に不幸なことでも何でもなく、むしろツイてると言った方が適切である。

なぜなら、人生うまく行きだすと別の問題が起こることによって、「自分の人生は安心である」という幻想から目を醒ますことができるからだ。

そうなれば、当然不安を感じるだろう。それでいいのである。

私たちは不安を感じる。だから、その不安が現実にならないように全力で対処することができる。それによって、人生がより安定するための努力をすることができる。

突発的な出来事に備え、対処するための手を打つことができる。だから結果的に、安定に近い人生を送ることができる。

何かを得て失うことは何も手に入らないよりも虚しい

人生で最も怖いのは、何もかもがうまくいかない失敗続きの人生を送ることでない。

人生がうまくいき過ぎた結果、傲慢になり、自分を見失ってしまうことである。その代償は果てしなく大きい。

人生の絶頂を迎えて傲慢になり、もう自分の人生は大丈夫だと油断する。そしてその先、人生最大級の不幸と苦しみを味わうハメになる。

あなたもきっと聞いたことがあるはずだ。人生で大成功して富や名誉を得たものの傲慢になり、最後にはすべてを失ってしまった人の話を。

それはある意味、何も手に入れることができなかった人の人生よりもずっと悲惨、という話である。

だからこそ人生では、適度につまづくことが必要不可欠なのだ。

最後に

努力してうまくいく。しかし何かがうまくいかなくなり、失敗する。それによって、自分は決して完璧な人間ではないことに気づく。

だから自我が肥大化することもないし、等身大の自分で居続けることができる。

しかし、何もかもがうまくいきすぎ、自分の実力以上のものを手にいれてしまえば、もはや傲慢さに抗う術はない。

よほど人間ができた人でさえ、いいことが続きすぎると、それが自分の実力だと勘違いしてしまう。

だからもしあなたが人生何度もつまづいているならば、それは決して不幸な話ではない。むしろ、あなたがあなたであることを忘れないために必要な経験である。

つまづいたらそれでいい。謙虚さを忘れずに、常に足元を見つめて、自分に何が必要なのかを考えればいい。

それが本当の意味で、長い人生において、自分を助けるための必要な経験となるのだから。