極論を言うと努力は報われなくても問題ない。努力することそれ自体に意味があるから

自分を磨く女性

努力をすれば報われる。努力をしないで成功した人はただの一人もいない。

世の中ではこのような努力論が礼賛されているが、実際のところ、本当に努力すれば報われるのか。人生が良くなるのか。成功できるのか。

このページではその問題について、一つの見方を提供したい。

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すべての努力はムダにはならない

まずはじめに結論から言うと、努力は報われないこともあるが、努力をしたことそれ自体が、完全に報われないことはない。

例えば、あなたが何か夢を持っていて、その実現のために努力を続けてきた。

ところが、何年も努力を続けてきたにも関わらず夢は実現せず、努力が目に見える結果につながらなかった。

このとき、あなたはきっと、「努力がムダだった」と感じるかもしれない。

しかし、その努力が本当にムダだったかどうかについては、常に検討の価値がある。

なぜなら、人生における様々な出来事についての正しい評価は人生が終わるときのみ可能だからである。

努力が報われた「結果」不幸になる

必死に努力をしたにも関わらず、自分が望む結果が得られなかった。これを持って努力ムダ論を唱えるのは少しばかり飛躍しすぎである。

確かに、努力をしても報われないときは往々にしてある。ところが、努力して失敗した。結果が出なかった。

そのこと自体が実は、人生長い目で見ると、幸運に変わることが少なくない。

それはまさに人生万事塞翁が馬で、良いと思っていた出来事が実は不幸の始まりで、悪いと思っていた出来事が実は、幸福の始まりであった。

こういうことが起こるのが人生だ。だから努力が報われなかったことは短期的に不幸のように思えるかもしれないが、本当にそれが不幸なのか。

その判断を下すのはやめた方がいい、という話である。

「良い」「悪い」の判断をしない

人生万事塞翁が馬。

そのこと自体、筆者も自分の人生において強く実感している。

例えば筆者は20代の頃、教育公務員を目指し、学生時代は塾で授業の教え方を学ぶなど、良い教員になろうと全力で努力をしてきた。

ところが、教員の採用試験の二次試験で不合格になってしまい、正規の教員になることができなかった。

それで臨時雇いの教員になったが、そこで様々な現実を目の当たりにして、自分の考えを改めた。

そして、自分が生きていく道はどこにあるのか。悩み苦しんだ結果、今の生き方を発見した。

それは筆者にとって間違いなく、教員として生きていく道よりも自分らしく幸せな道であることを確信している。

努力を結果で判断しない

このように、人生何かに必死で努力したとしても、それが必ずしも報われるとは限らないが、報われなかった努力は全くムダなことではない。

むしろ、努力が報われないことそれ自体に実は、何らかの意味がある。筆者はそのことを実感している。

誤解を恐れずに言うと、努力をしても報われないとき、その努力はむしろ報われないほうがいいのかもしれない。

だからもしあなたが何かに必死で努力して、それが報われなかったとしても、長い人生どこでどうなるかは分からない。

「この努力は報われなくて良かった」

という考え方があることを、ぜひ知っておいて損はない。

最後に

人生は去年より今年。今年より来年。1年1年確実に良くなっていく方が素晴らしい。そしてそのためには、「今よりもっと良くなりたい」という気持ちが必要不可欠だ。

「今よりもっと」を目指すためにはやはり努力は必要である。この意味で、努力そのものは非常に価値があるし、自分の人生に努力することは人として自然である。

ただ問題なのは、努力=結果と脳筋的に考えてしまうことである。

努力を結果で判断してしまうと、報われない努力はすべて無意味になってしまい、努力が報われなかった本当の意味まで、見失ってしまう可能性がある。

だからこそ大切なのは、結果にこだわりすぎないことである。

努力することは大切だが、結果はどうなるか分からない。だから、自分がやるべきことを誠実に努力するならば、それでもう十分。

もしかりに努力が結果にならず、報われなかったとしても、それまでの努力を否定する必要はない。

人生は長い。その努力が報われなかったこと。そのことに実は、重要な意味があるのかもしれないのだから。