なぜ、欲しいものは苦労して手に入れた方がいいのか?

横顔の女性

お金も人間関係も仕事も、労せず手に入れたものは、またすぐに失います。一時の幸運を手に入れることがあったとしても、長続きしないということを、私はこれまでの人生で痛いほど学んできました。

時間をかけて丁寧に紡いだ運の糸はそう簡単に切れることはありません。厳しい出来事に直面したとしても、しなやかに乗り越える強さをもたらしてくれます。コツコツコツコツ、自分の人生に向き合い、運を整え続けてきた人は、人生の後半戦になればなるほど強い運に守られることになります。

朝倉千恵子

かんたんに手に入るものはかんたんに失う。かんたんに手に入るからこそ、その本当の価値を実感できないのは人生の大いなる皮肉である。

例えばあなたが今すぐ生活を一変させる大金が欲しいと強く願い、宝くじか何かで3億円の臨時収入を得たとする。それは傍目から見れば幸運のように見えるだろう。その3億円によって生活は今すぐ変わるだろう。

だが「ちょっと待て。本当にそれは幸運なのだろうか?」と疑問に感じた方だけ、この先を読み進めて欲しい。

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はじめに

人生における本質的な価値は、結果ではなく過程にある。

夢。仕事。パートナー。お金。理想の人生。人生において、「◯◯を得た」という状況になる前には、「◯◯を得るために△△する」という過程がある。

「◯◯を得る」ために私たちは様々な行動を試みる。そして、「◯◯を得る」ために悩んだり、壁にぶつかったり、あきらめてしまったり、様々なドラマを経験する。

例えばあなたが理想のパートナーと出会い、素晴らしい関係を築きたいと願うとき。あなたは自分自身の必死で磨こうとするだろう。美容院で髪を整え、自分に似合う洋服を着て、様々な出会いの場所に積極的に足を運ぼうとするだろう。

その結果としてあなたは、自分が本来持っていた魅力を引き出すことができる。自分では気づいていなかった、自分の可能性に気づくことができる。そうした努力によってご縁のあったパートナーは、その関係を「大切にしたい」と思うだろう。

「◯◯を得る」ことは確かに大切かもしれない。だがそれ以上に実は、「◯◯を得る」までの過程こそが実は、「◯◯を得た」という結果よりも重要なことなのである。得るために行動を起こす。そして悩み、つまずく。だからこそその価値を、感じることができるのだ。

「運がいい」ということ

「運がいい」という表現はある意味で誤解を生む表現のように思う。というのは、運がいいこととはずばり、「人生において苦労も障害もなく、スイスイと物事が進む、困ったことは起こらない」といったイメージがつきまとうからだ。

不思議な話だが人生は順境のなかに逆境の原因が潜み、そして逆境のなかにこそ順境へと続く原因が隠されている。だからこそ人生で起こる様々な出来事について、単純に「その出来事は運がいいです」「その出来事は運が悪いです」と安易に判断することはできない。

日々の生活に最善を尽くしている。現実を良くしようと努力している。にも関わらず現実はまるで変わらないように見える。むしろ悪くなっているようにさえ見える。そういったとき私たちは、「なぜ自分はこんなにも運が悪いのだろう?」と考えがちである。

だがそれは私たちの表面意識がそう「考えている」「思っている」「感じている」だけであって、実際は違うかもしれない。もしかしたら、目の前の現実は「見えない部分」で何かが変わり始めているかもしれない。

それだけではない。私たちは、現実がかんたんに変えることができないからこそ、粘り強い継続、そして何があっても折れない信念をその心に、宿すことができるのだ。

「◯◯で苦労する」意味

かんたんに手に入るものは、かんたんに手に入るからこそその本当の価値を学ぶことができない。努力はなかなか実らないからこそ、努力する本当の意味を知ることができる。それは難しい話ではない。

あなたが必死に振り向いてほしい人がやっと振り向いてくれたとき。あなたはその人を強く、大切にしたいと感じるだろう。お金を渇望しようやく手に入ったお金を、無意味に散財しようとは思わないだろう。

それを得る前に葛藤を感じれば感じるほど、ドラマが起これば起こるほどその価値、そしてその大切さを実感することができる。大切さを実感するからこそそれは長く、私たちの人生にとどまる。

「結果」は確かに重要である。だが「結果」より重要なのが「過程」である。何を手に入れようとも、その本当の価値を知ることができないのは、悲劇としかいいようがない。

この意味で「◯◯で苦労する」という経験ができる人は幸運である。「◯◯で苦労する」からこそ、「◯◯の価値」を深く、理解することができる経験が与えられているのだから。

最後に

地道にお金を節約したり、必死になって収入を増やしたり、お金を自ら運用することによって貯めた1000万円は、偶然手に入れた1000万円よりも遥かにその価値を感じることができる。

だが手に入れるまでの過程をすっ飛ばし、「結果だけ」かんたんに手に入れてしまったとき。その本当の価値を実感することはできない。むしろ、その価値を知らないがゆえに安易にそのお金は消費される。

宝くじの高額当選者が大金を手にしたのちに不幸になりやすいのは、ある意味で当然の結末なのである。そこには過程がないからだ。価値を知る過程をすっ飛ばしてしまうからこそそれは、驚くほどかんたんに失われる。この仕組みはすべての物事に当てはまる。

かんたんに手に入れたものはかんたんに失われる。私たちが人生において本当に大切な何かを得ようとするならば必ず、それ相応の過程を必要とする。それを得るまでに様々なドラマを得れば得るほど、私たちはその価値を、強く実感することができるのだから。

出典

『運を整える』