世には運・不運があります。それは人間世界が始まった時からのことです。不運な人は、不運なりに生きていけばいいのです。
車谷長吉
運について考えると、実に不思議だ。
世の中にはやることなすこと裏目に出るようなツイていない人がいる一方、やることなすこと自然とよい結果が出る幸運な人がいる。
人は失敗や不幸の原因を努力不足にしがちだが、運という要素があることも否定できない。もし、自分がツイてない側だったらどうするか?
確かに不幸はそこにある
ある人は、
「ツイてない人生?素晴らしいじゃないか。ツイていないなら、それなりにやってけばいいんだ」
「世の中なんて所詮苦しい場所なんだから、ツイている人よりも人生の現実が良く分かる。苦しいことが分かる人は、本当の人生が味わえる人だ」
と言う。
慰みになるかは分からないが、真理をついている名言だと思う。
どんな幸運の持ち主でもいつかはこの世か去る。どんな名声を築こうと、どんなに富を蓄積しようと、人生はやがて終了する。
それだけは否定しようがない事実で、それを考えればもしかしたら、人生幸せになる必要なんて、これっぽっちもないのかもしれない。
「不幸上等」という考え方
この世の中、本当に幸運な人なんて極稀で、大半の人は、人生の苦しみと折り合いをつけて日々を生きている。
ある人は孤独、ある人は病気、ある人は人間関係のいざこざ、ある人は貧乏の苦しみ、世の中をよく見ていると、そこには苦しみが溢れている。
苦しみを見続けるのは苦しいから、いろんな慰みを用意して、人生の苦しみを緩和して生きているのだ。
苦しみが多ければ多いほど、慰みも効果をなさないが、その分世の中の現実を、まっすぐ受け入れる事ができる。そういう人は、不平も嘆きもなく、ただあるがまま、人生を生きることができる。
この意味で、運の良し悪しなど考えもしないで、ただまっすぐに生きていく。それできっと、十分なのだ。
最後に
人生運がどうとか気にしすぎるのは有害である。
良いなら良いでそれでいいし、悪いならそれでノープロブレム。なぜなら本当に大切なのは、運がどうであれ、今の人生を、精一杯に生きることだからである。
運が悪くて失敗が続く。悪いことが続く。それならそれを受け入れて生きていく。こんな生き様も実際に、あるのである。
こうして不運を受け入れた結果、自分の道を見つけ、自分サイズの幸運を手に入れることもできる。だからノープロブレム。今を精一杯生きること。大切なのは、ただそれだけである。
出典
『人生の救い』