「みんな」に従うのはある意味正しい。というのは

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笑顔の女性

善人の正しさの根拠は一つだけである。それは「みんな」である。

「みんな」とは、誰か?

最も数の多い者たちであり、最も物を考えない者たちであり、最も鈍感で最も自己反省しない者たちであり、つまり最も弱い者たちであり、しかもそれでいいと居直っている者たちである。

こうした膨大な数の人々によって「みんな」という印章は、現代日本では、葵の御紋より菊の御紋より、高らかに掲げられる。

中島義道

今の時代、「みんな」という言葉はとても強いパワーを持つ。

「みんなやっている」

「みんなはこうしている」

この言葉によって、「みんな」と違う誰かに対して、「お前もみんなと同じようにしろ」と、集団圧力を促すことができる。

数の暴力は、単純だが最強だ。数は質を凌駕する。一騎当千の強者でも、一万の群衆に囲まれてしまえばそれまでだ。

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「みんな」から外れるリスク

無数の「みんな」と戦えるほど、強い人は多くない。だからこそ、「みんな」から大きく外れてしまうことは、ある意味とても危険を伴う。

人は自分と同じ人に安心感を持ち、自分と違う他者を攻撃する習性がある。だからいつの時代も、「みんな」に近づけば生きやすくなるし、「みんな」と離れれば生きにくい。

だからこそ多くの人は、「みんな」と自分を同一化することを目指す。自分が「みんな」と離れないように努力する。それは本能的な生存意識だ。

極端に言うと、みんなと違うこと、それはすなわち生死に直結する問題だ。だからこそ、誰もが「みんな」に近づこうとする。

学校でも会社でも、「みんな」と違う人々は、異端児の成功者となるか、いじめられっ子になるか、極端な道を歩む。

「みんな」から離れると、「生きにくさ」というおまけがついてくる。

それを考えると、人生無難、安全第一に生きようとするなら、人と同じようにして、決して自分らしい人生を目指してはいけないのかもしれない。

「みんな」と違う生き方がしたいなら

人と同じように考え人と同じように振る舞う。

「みんな」がどう思うかを意識して行動していれば、自分の人生を放棄することになるが、安心感は持てるかもしれない。

夢のない話かもしれないが、「みんな」から離れ、自分らしさを求める生き方、人と違う生き方は想像以上に大変だ。

人と違う苦労をするし、誰にも理解されずに、批判にさらされることも多い。

そんな苦労をするならいっそのこと、自分なんて探さずに、「みんなやってる」ことをするのも一つの生き方がと思う。

「みんな」から離れ、苦難を乗り越え、どんな代償も引受けて、最後に自分らしい生き方をつかむのか。

それとも、自分自身の頭で物事を考えることを放棄して、「みんな」と同じようにして安全第一に生きていくのか。

選択は慎重に考えたい。

出典

『<ふつう>から遠くはなれて』(青春出版社、2016年)

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