行きたくない学校に行く意味

広い空を見上げて

世界に比べたら学校なんて部屋に落ちている髪の毛1本みたいなものだから、先生や友だちを大事にするのもいいけれど、合わなかったら無理しなくていい。

だって、世界には70億人もいるんだから。たまたま今一緒にいるクラスメイトに好かれるよりも、70億人の中から自分を好きだと行ってくれる人を探す努力をすればいい。

長谷川敦弥

学校は楽しくない。退屈で窮屈。そして辛い。

その原因は、教室という狭い空間に1日中閉じ込められ、そこで、決められた人間関係に縛られてしまうからである。

もし幸運にも、そこで自分と相性の良い人たちと出会うことができたなら、学校生活、特に、小中の9年間の義務教育時代は、素晴らしい思い出の時代となる可能性がある。

しかし。不運にも、周りの人が合わない。価値観が全然違う。意地の悪い人がいる。この場合、学校で過ごす時間は、まさに苦行である。

大人の世界では、「この人とは合わない。付き合いたくない」と思ったらいつでも物理的な距離を置き、関わりを持ちたくない人とはいつでも離れることができる。

ところが学校の場合はそうはいかない。どう努力しても相性が良くない人と一緒にいなければいけないし、いじめっこに正義の鉄槌が下ることも少ない。

大人のように、環境や人間関係を、自分の努力で変えていくことができない。この意味で、学校で過ごす時間は、人生で一番理不尽な時間である。でもそれは、学校を卒業するまでの限られた時間である。

大人になれば、自分自身で生き方を選ぶことができる。どんな暮らしをして、誰と付き合うか。自分で決めることができる。

ただし、そのためにはその自由を得るための能力と努力が必要である。だから、学校が馴染めなかったとしても、勉強することはとても大切である。

勉強をすることは、自分の頭で物事を考えるクセをつけることである。自分の頭で考えることができれば、自分にとって最も幸せになれる道を見つけることができる。

そのために、今は役に立たない数学も科学も、国語も英語も、真剣に勉強する価値がある。勉強することによって、自分の頭で考える訓練ができるからだ。

だから学校になじめなくてもいい。合わない人と無理に合わせる必要はない。合わない人間といくら付き合っても、時間のムダである。

ただし忘れてはいけないのは、勉強して将来自分の道を自分で見つけられる準備をしておくこと。それだけは、誰よりも一生懸命になることである。

そうすればいつか世の中のどこかで、あなたが安心して生きられる道を見つけることができる。一緒にいるべき人たちと、出会うことができる。そのときが来るまでは、決して無理はしないことである。

嫌なら嫌と言っていい。無理に自分を偽る必要はない。ぼっちになってもいい。それは長い人生、ほんのわずかな時間だから。

出典

『AI時代の子育て戦略』