私たちは、「ない」ことで「ある」ことの価値を知る。

女性の後ろ姿と明暗のコントラスト

世の中で忌み嫌われている、病気や貧困や不安やトラブルという<負>の部分は、実は幸福を感じるためのバロメーターなのです。断食の行とは世の中のあらゆるものを感謝する心を芽生えさせるための行なのです。

美輪明宏(『正負の法則』より)

私たちはこう考える。

「人生で悪いことなど、ないほうがいい。健康、人間関係、お金に恵まれ、仕事はうまくいき、何もかもが順調に進む。悪いことは何一つ起こらない。そんな人生こそが、完璧だ」と。

あいにく、もしこのような人生を本当に実現してしまったなら、それは不幸なのかもしれない。

なぜなら、不幸によって幸福をより深く理解できることがある。「病気や貧困や不安やトラブル」があるからこそ、その反対側にある、健康や豊かさ、安心、平穏を知ることができるからだ。

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なぜ、<負>が幸福を感じるためのバロメーターなのか?

人生の大きな皮肉だが、私たちは自分自身が当たり前のように恵まれているものの価値を、実感することができない。それは決して当たり前ではない。

だが、普段それが当たり前のように、自然にそこにあることによって、その意味を感じにくくなってしまうという習性を持っている。

たとえば、健康に恵まれ、疲れや病気に一切悩まない人は、自分が健康であることを当然のように感じる。この世界に生まれ落ちたその瞬間からお金に恵まれた人は、お金があるということの価値を知らぬまま、お金を使い続ける。

だからこそ私たちは、ときにマイナスの経験を通して、自分が持っていたものの価値に気づく。本当の意味で豊かな人生、意味のある人生を生きるうえで、そうした経験は大切な意味を持つことがある。

この意味でまさしく、「病気や貧困や不安やトラブルという<負>の部分は、実は幸福を感じるためのバロメーター」になる。

「ない」からこそ「ある」の価値が分かる

健康を大切にしていい。だがときに、病気によって立ち止まらざるを得ない経験をすることもある。

病気そのものは決して望ましいことではない。だが、その経験を通して、五体満足であるということはとても有り難いことであって、「当たり前のことではない」ということを実感する人もいる。

人間関係に恵まれていい。だがときに、人間関係に悩み、孤独を感じる時間もある。

人間関係がうまくいかずに悩むことで、大切な人の存在や、人とつながるありがたさを実感することもある。

お金に恵まれてもいい。だがときに、お金に困ることもある。

お金に困ること自体は決して望ましいことではない。だが、その経験が後にお金の価値を教え、そしてお金を稼ぐ意味を実感させてくれることもある。

「ない」ということは、必ずしも不幸を意味しない。「ない」からこそ、それが「ある」に変わったとき、本当の意味で、その価値を実感することができるからだ。

それはやがて「良いもの」に変わる

人生で起こる出来事は、後になって振り返ると伏線だったと思えることがある。

幸福な出来事がときに不幸な出来事に続くように、そして不幸な出来事が幸福な出来事へと続くように、人生で起こる出来事は、「そのとき」だけで、それを本当の意味で評価することは難しい。

だが私たちは、「今」の状況に基づき、それを安易に評価してしまうという癖を持つ。

悪い出来事が起こったとき、私たちはそれを忌み嫌い、避けようとする。見ないようにする。だが本当にそれは、悪いことなのだろうか。

確かに「そのとき」、人生は快適でなくなり、穏やかさは失われ、苦労が重なるかもしれない。

だがそれによって、「その後」より快適で、平穏な日々が訪れるかもしれない。それは、「そのとき」快適でなく、不安で、トラブル続きの日々があったからこそなのである。

最後に

俳優の 唐沢寿明 さんの自伝『ふたり』に、こんな話が出てくる。

俳優を目指し高校を中退するも、食えるようにならず、ようやくトレンディ俳優としてその努力が実り、日の目を見始めたとき、唐沢さんは若い俳優仲間と買い物に出かける。

彼らは皆、豊かな家庭に育った二世俳優ばかりで、とあるジャケットを見かけたある一人が唐沢さんに「これは安いから買いなよ」と言う。

だがその金額は唐沢さんにとって、安い金額とは思えず、唐沢さんは悩む。それは高い安いといった「金銭感覚」という話ではない。お金の価値の問題である。

「お金に困る」という経験は、良いか悪いかといえば、一般的には「悪い」ことだし、愉快でない経験であることはそうなのかもしれない。

だがそれは、「そのとき」の話であって、その経験は決して無意味ではない。大切なのは、私たちが「ない」とき、「困った」ときの、考え方ではないだろうか。

その経験はきっと、その反対にあるものの価値を私たちが学ぶ、貴重な機会になり得るからだ。