踏み慣れた道から突き落とされたら―――それですべてはおしまいだ、とわれわれは考えます。ところが、そこからはじめて新しい、よい道がはじまっているのですよ。生命のあるかぎり、幸福もあります。前途にたくさん、たくさんあるのです。
ピエール
人生は不思議である。
起こることは想定外ばかり。「もはや、これまでか・・・」と人生をあきらめかけた瞬間。「こんな展開があるんですか?」と驚愕してしまうほど、不思議な逆転が起こる。
長い夜はやがて終わり目の前に光が差し込む。確かに「人生一寸先は闇」かもしれないが、「人生一寸先は光」でもあるのだ。
はじめに
一つの終わりは新しい始まり。絶望は希望の始まり。
私たちの人生が上がって下がり、下がって上がる。それは人生という構造それ自体が、破壊と再生を繰り返すからである。すなわち、目の前に起こっている現象は、人生の「結論」ではない。
現時点において果てしない試練が続いても。耐え難い困難がそこにあったとしても。それを人生の凶兆として捉える必要はない。むしろそれは吉兆かもしれない。なぜなら物事が一つの方向に行き極まったときに逆転が始まるからである。
大切な人生の「解釈力」
失望や挫折、絶望。それらは人生において不可欠な経験だが、それらの経験をどのように解釈するか?それは人生の解釈それ自体をあやまらないための重要なターニングポイントである。
「普通に考えれば」トラブルや借金、孤立や病気といった出来事によって現実に問題や悩みが発生しているとき、それらは人生の凶事としか思えず、ここから明るい未来を予想することは困難なように思える。
だが実際のところ、人生の凶事が起こったということはむしろ吉事の始まり。特に、凶事の度合いが悪ければ悪いほど、その出来事はその後の人生で、素晴らしい出来事に転化する可能性がある。
だからこそ、「解釈」を誤ってはいけないのである。
「待つ」「耐える」という選択
これ以上ないほどの絶望を感じたその瞬間。「もはやこれまで」と達観した瞬間。
それはまさに「陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ず」という言葉のとおり、マイナスからプラスに移行する瞬間である。
物事はその流れが「極まった」タイミングで反転していく。だからこそ物事を長い目で考えた上で、「我慢する」「耐え抜く」という行為が、人生の変転を生き抜く上での重要なアクションとなる。
どんな状況もいつか必ず、変わっていく。現実が自分に対して厳しすぎるとき。現実を変えようとすることは可能だが、その試みは賢明とはいえない。
人生で嵐が吹き荒れるときは嵐が吹き荒れているときの対処法がある。嵐が去るまで「耐え抜く」ことで、やがて平静を取り戻すことができるのである。
最後に
私たちは目の前の「現実」をもとに、人生の見通しを「現実的」に判断しがちである。
人生に問題が降りかかり続くとき、その後の未来に良いことを期待することは難しいように思えるのは自然である。
だが実際のところ、そこで意識しておきたいのは、
1.それはやがて「必ず」終わる
2.悪い流れが極まったときこそ良い流れが訪れる
という2点である。
苦しいときほど「すべてはおしまいだ」とその解釈を誤ってはいけない。むしろそこから、人生が好転するかもしれないのだから。
出典
『戦争と平和(四)』