人生は山あり谷あり。
ある人は苦労続きの人生を歩み、ある人は何もかもが上手くいき、イージーモードのように「見える」人生を歩む。
このような現実のなかで、
「なんて人生は不公平なんだろう?」
と感じているあなたに伝えたい言葉がある。
それは、
「人生はプラスマイナスゼロ。最終的には帳尻が合う」
という言葉だ。
人生を長い目で見れば必ず帳尻は合う
確かに、人生は理不尽なものかもしれない。「一寸先は闇」という言葉があるように、どれだけ最善を尽くしても、正直に生きていても、理不尽な出来事によって幸せは一瞬で壊されてしまうことがある。
自分の意志や努力とは無関係に、人生は決まってしまうことがある。この意味において、「人生は100%自己責任」というのは言い過ぎであり、私たちは皆、それぞれの「限定された運命」によって人生を翻弄されていると考える方が自然である。
なぜ不運なことが起こるのか? なぜ人生でつまずいてしまうのか? 「なぜ」という理由を理解できない限り、人生はただの辛い苦行でしかない。
しかし、人生は決してただの苦行で終わることはない。苦労した分、問題を経験した分、それらに対して必ずや報いがある。それが「負を先払いしたから」である。
不幸がやって来るのは人生が上手くいっている証拠
「ピンチはチャンス」という言葉があるが、これは単なる言葉遊びでも何でもなく、まさに真実である。
人生にはマイナスがあるからこそ、それに相応するプラスが存在する。マイナスを経験すればするほど、その先の人生でマイナスを味わった報いがやって来る。この意味で、大変なのは、人生がいつも幸せ続きだった人である。
人生で一度も挫折したことがない。努力がすべて結実した。そういった人ほど、その先が怖い。それまでにプラスばかりを手に入れてしまったからである。
世の中を見渡せば、持つ者は何もかも手に入れ、持たざる者は何もかも失うという現実があるように思える。しかし、それはあくまで「表面から見える部分」に過ぎない。実態は、本人だけが知っていることである。
表面からは絶対に見えないもの
持つ者には、それ相応のマイナスが例外なく訪れる。
私たちは「表から見えている部分」だけを見て、「あの人は成功している、幸せそうだ」と思い込む。しかし、何もかも手に入れ、人生の勝者のように見える人が、誰にも相談できない大きな不幸を抱えていることも少なくない。
表側はともかく、裏側において「持つ者」は皆、それぞれ持っているだけの苦しみを抱えている。だからこそ、物事の表面を見て幸不幸を判断するのは、あまり意味がない。
幸せそうな人や、人生で良いことばかり起こっていそうな人を羨む必要は全くない。むしろ、その実情を知れば、彼らに同情心を抱くことだろう。そして、「勝ちすぎ」「持ちすぎ」の人生よりも、「ほどほどが一番だ」と考えを改めることだろう。
「最高の幸せ」を避けたほうがいい理由
人生のプラスとマイナスの数は、短期的に見ると偏りがあるように見える。この意味で、人生が不公平であると感じることは間違ってはいない。しかし、人生を長期的に見ると、最終的にはプラスとマイナスはトントンになる。
不幸がやって来ても、やってきた不幸に値するだけの幸福がやって来る。逆に、幸福がやって来たとしても、それがあまりに大きすぎる幸福だった場合、その先は大変である。
人生最大の幸福の絶頂の後に、人生最大の不幸がやって来るのは、テンプレートであり、お約束である。だから実は、幸せの絶頂なんてむしろ来ない方がいい。そこそこ不幸、そこそこ幸せが一番である。
最後に
「真実」という言葉を使うことは好まないが、一つだけ確実に言えるのは、「不幸だけしかない人生、幸福だけしかない人生などあり得ない」ということである。
人生では、何かを得たら何かを失い、何かを失えば何かを手に入れる。そして最終的には、プラスとマイナスはゼロになる。人生の前半で苦労すれば、後半で楽ができる。逆に、前半が楽だった場合、後半で苦労することになる。
最終的にはまさに、「人生は帳尻が合うようにできている」のだから。