「私はこんな年だし、結局人生はこういうものだ」
10代や20代の頃は、自分の人生に希望を持ち、様々な未来を描く。ところが、日々に流されて年を取っていくうちに、だんだんと希望を失い、「自分の人生はこんなものだ」と今の人生に納得しようとする。
そして、自分のやりたいこと、したいことを抑えて、ほどほどの人生、それなりの人生を送る。世の中こういう人は多い。
いやむしろ、自分の夢を叶え、理想の人生を実現する人よりも、それなりの人生を送る人の方が多いのかもしれない。
だから、それなりの人生は理想の人生よりも満足はできないかもしれないが、最悪の人生ではない。
この意味で、それなりの人生を送れたなら、ある程度人生で成功したと言ってもいいかもしれない。世の中、運が悪ければそれなりの人生よりも、もっと酷い人生があるのだから。
人生は選択。自分が選択することで人生が創られていく
それなりの人生を送り「私の人生はこれでよかった」と満足できる。そうであれば、それはそれで十分なのだと思う。
問題なのは、それなりの人生を送っているはずが、後悔だらけ、不満だらけの人生になってしまうことだ。
人生の週末、「こんなはずではなかった。あれをしておけば良かった。これをしておけば良かった・・・」と後悔の日々を送ることだ。
それさえしなければ、自分の生き方に納得できさえすれば、人生最高でも普通でも特に問題はない。というのは、どんな結果であれ、その人生はたった一度きりのことだからだ。
そこに良い悪いもない。ただそういう人生があっただけであって、それは一度しか経験しか経験することができない体験だ。
理想を目指してリスクを犯すか。それとも、自分の限界を想定して、リスクは低いけれど安全重視の人生を送っていくか。それはあくまでの選択の問題だ。良い悪いはない。
不満が人生を変える
人生誰でも不満はある。不満が我慢できるならそれでいいのかもしれない。
でも、今の暮らしにどうしようもなく我慢ができなくなってしまったとき、「今の人生は私の人生じゃない!」という心の声を否定できなくなったとき。
そのときが来たら、それは人生を変えていくときなのかもしれない。
その声が聞こえるということ=それなりの人生では満足できないということ。もっとどん欲に、したいこと、やりたいことをやっていく人生の方が、満足できるのかもしれない。
もちろん、その生き方にはリスクがある。人と違う生き方をする、それだけで他の人とは別物の生き方になるし、失敗するリスク、安定を失うリスクもある。
しかしだからこそ、理想を実現できたときの喜びはとてつもなく大きい。
自分で人生を意図する。そして人生がその通りになっていく。これはとても素晴らしい体験だ。「他の誰でもない。これこそが自分の人生だ!」と納得できる。
それは人生を賭ける意味があるくらいの大きな喜びである。
最後に
結局、何かを得ようとすれば何かを失う。
山も谷もないけれど、仕事もプライベートもそれなりにある。そんなほどほどの人生を送るのも一つの選択だ。そこには安定もあるし、普通の生き方をしているという安心感もある。
ただそこに満足できないとき、「人生、これでいいのか?」と悩んだときは、そこから一歩リスクを犯して前へ進んでいく必要がある。
今の暮らしを捨てて自分を変えていく。それによって失うものもたくさんある。しかし同時に得られるものもたくさんある。
こうして、自分の人生を選択していくことができる。
今、それなりの人生に満足している。物足りないけれど大きな不満も感じない。それはそれで一つの生き方。価値がある生き方である。
問題は、あなたの本心はどうなのか?ということだ。
将来今のまま後悔することがないのであれば、問題ない。もしそうなら?自分にウソをつくのはやめて、新しい第一歩を踏み出すときなのかもしれない。