なぜ完璧な人生を求めてはいけないのか

闇を抱える女性

「人生何もかもうまくいく。すべて幸せで完璧。そんな人生を送れたら、人の一生はどれだけ素晴らしいことだろう」

もしあなたが、何もかも手に入れること。完全に満たされる状態こそ幸せであり成功であること。

そう信じているなら、きっとこの記事を読む価値があるはずだ。

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はじめに

人生に完璧はない。ありえない。そして逆説的だが、完璧でない方が人生は幸せだ。

物事には必ず陰と陽、2つのバランスがある。そこに陽の目が当たったとき、そこに必ず陰が生じる。

それが成功のダークサイドであり、成功した本人が直接不幸になることもあるが、そうでない場合、成功者の身近にその不幸を肩代わりする人が登場する。

それはある意味、本人が不幸になるよりもずっと辛い。

我々一般国民は、お金持ちや成功している人、いわゆる上級国民に憧れ、彼らの特権的な人生に妬みや嫉妬を抱くことが少なくない。

それは、彼らの暮らしの表面だけを見ているから彼らの暮らしが羨ましく思えるだけであって、本当に彼らが幸せなのか。憧れるに値する人生を送っているか。

それは全く、話が別である。

むしろ場合によっては、成功なんてせず、上級国民にもならず、普通の暮らしを送る方が、はるかに幸せな人生を全うできる場合も少なくない。

凶悪犯の不思議な共通点

例えばあなたは、ニュースで報道される凶悪犯罪を見て、こんな疑問を持ったことはないだろうか?

「凶悪犯罪を起こす人はどんな家庭で育ったのか?その両親はどんな人なのか?」と。

そこで好奇心を持ち、いろいろ調べてみると、親が代々地元の名士であったり、不動産で財を成したお金持ちであったり、いわゆるハイソな家庭が少なくないことに気がつく。

あなたが好奇心を発揮して日本で起こった凶悪事件の関係者を調べれば、その具体例を容易に見つけることができる。

そのため、ここでは具体例は挙げないが、その数は決して少なくない。特に、医者や公務員などの高学歴家庭はまさにその典型。

凶悪犯とはまではいかないが、決して社会的名誉。財産が人生の幸せを保証するわけではないことを教えてれる。

幸せと反映は思わぬところから崩れていく

例えば筆者の身近で知っている例でこんな話がある。

その家は、先祖代々、その土地の大地主であった。広い土地を持ち、その祖先はあの織田信長に使えた家系だと言う。

祖父は地元の議会の議員を歴任し、父親は市役所勤務。母親も教師をしており、世帯年収はかるく1000万を超える。

おまけに地方都市在住+先祖代々の土地持ちなので、実態はまさに財産家。絵に書いたようなセレブな一家として、周囲の人々の憧れと嫉妬を集めていた。

ところがこの家庭には一つ、大きな問題があった。それが、息子の存在だ。

息子は小中校と勉強ができ、親の期待通りの成長を遂げていたが、大学卒業後、いわゆるニートになった。

最初は引きこもって親の金をせびるだけだったらしいが、なんと妹にも手を出すようになり、やがては母親にも暴力を振るうようになった。

そしてついに家庭は崩壊。

母親と娘は家を出ていき、広い敷地に残された家で、父親は暴力を振るう息子の世話をして暮らしているという。

つまり、まだこの一家の不幸は解決していない。

だから完璧な人生はありえない

筆者はこの話を聞いて、やるせなくなった。

自分が失敗するだけならまだいい。貧乏になってもまた、やりなおせばいいだけの話だ。

しかし、自分の息子が引きこもりになり、母親や妹に暴力を振るう。「俺がこうなってしまったのはお前のせいだ」と罵倒される。

そんな父親の立場を想像すると、本当に人生はめでたしめでたしにならない。完璧な人生などありえないことを、否が応でも実感させられる。

これはあくまで一例だが、実業の世界ではよく聞く。

つまり、成功を目指して努力する。そして、成功して理想の暮らしを実現する。すると、家庭がうまくいかなくなったり、子どもに不幸が起こったりする。

すなわち成功にはダークサイドがそこにあって、成功だけ持ち逃げはできない。幸せだけは持ち逃げできない。そのことを、強く実感させられる。

そう、人生陽が当たればそこに必ず陰が生じる。だから山高ければ谷深し。得たものが大きければ大きいほど。

得をしていればしているほど。人生のどこかで大きな代償を支払わなければいけなくなるのかもしれない。

最後に

それを考えると、何もかもがうまくいく人生。何もかもが手に入り、思うどおりになる人生。それは幸せではなく、かえって不幸なことなのかもしれない。

むしろ、毎日多少の不満がある。思い通りにならないことがある。その方が逆に、安定した幸せな人生になるかもしれない。

だから、お金は不満なくらいがちょうどいい。家族とは多少ギクシャクする方がちょうどいい。自分にイライラするくらいがちょうどいい。

こんな考え方だってできる。

つまるところ、人生においては何かが欠けているほうがいい。不満足なくらいちょどいい。完璧なんて求めないほうがいい。

そういうことなのかもしれない。