気を紛らわすこと。人間は、死と不幸と無知を癒やすことができなかったので、幸福になるために、それらのことを考えないようにした。
パスカル
幸せを追い求めて、愛やら富やらを手にすることが「幸福になることが人生の絶対条件」のように思う人は多い。
しかし、幸せでなくても、ある程度のお金と、最低限の人間関係さえあれば、とりあえずは生きていける。
幸せであることにこだわらなくても、一応不自由はないし、したいこともできる。夢中になれる趣味があれば、なお良い。
むしろ、幸せ幸せとこだわることこそが実は不幸の源泉なのかもしれない。
欠乏思考が不幸を招く
アレが足りない、コレがない。
どれだけないもの探しても、幸福を探しても、それは決して見つからない。そしてその欠乏思考こそが、人生におけるあらゆる災いと不幸を引き寄せる。
自分には時間がない。お金がない。友達がいない。信用がない。
このように「ない」ことばかりに意識を向けていれば、ますます「ない」自分にフォーカスがあたる。そこからは何一つ、建設的なものは生まれない。
欲しがらなくなったときそれが手に入る不思議
だからないならないで、構わない。
別に、幸せでなくても、それなりに生きていける。その事実を知った人が、不思議なことに幸せを見つけることができる。
求めれば求めるほど、求めるものは見つからない。欲しくて仕方がないとき、欲しいものは手に入らない。
こだわりを捨てた瞬間。求めたものがどうでも良くなったとき。それは驚くほど自然に手に入る。あれだけ求めても手に入らなかったものが、いとも簡単に手に入る。
これだから、人生は本当に不思議である。
幸せは習慣だ
大切なのは、自分が持っているか持っていないか。そんなことは関係ない。
今持っていないものを考えても仕方ない。それにより、今自分が持っているもの。そして、これから手に入れたいもの。つまり「今あるもの」に意識を向けることが重要である。
欠乏意識はマイナスを引き寄せるが、すでに持っているという充足意識は、さらなる恵みを引き寄せる。
あることに意識を向けるか、それともないものに意識を向けるか。たったそれだけの違いだが、その結果は劇的である。
だからこそ幸せはある意味習慣。自分の意識の持ち方次第なのである。
出典
『パンセ』